幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜





譲の投げた短剣は鈍い音をたてて、家里の脇腹に命中した。



家里は持っていた刀を落とすとその場に倒れ、気が動転しているのか、急いで短剣を引き抜くと傷口を押えて、うめき声をあげながらもがき始めた。




そんな家里の後ろを取り、山崎がその両手をとり、縄で縛りあげる。




家里の脇腹からはとめどなく鮮血が流れ、座敷の畳を血で染め上げていっていた。




譲は家里が投げ捨てた短剣を拾い上げると鞘に収め、次いで抵抗の手段を断つために家里の刀も拾う。




血に怯えることもなく飄々と家里の腰から鞘を取り上げ、刀を収めている女を不審に思ったのか、山崎が怪訝そうに譲を見た。




「おい女……、お前は一体何者だ」




刀を抜く音が聞こえる。




首元にあてられている冷たい刃の感覚に、譲はふっと笑う。



こっちの立場になったのは初めてかもしれない。



深呼吸の後、譲は言った。




「私に気付かないなんて、まだまだね、山崎君」



その声の調子に山崎がはっとする。



みるみると顔が青ざめいくのを見ながら、譲は少し山崎に近付くと感情のない目で、山崎の頬を打った。




その衝撃で山崎が後方に尻餅をつく。




何をするのかと反抗しようとした山崎は譲のその目を見て一気に興ざめした。




彼女の目は、山崎が今まで見たことのない、まさに――




絶対的強者の瞳だったからだ。






数多の困難、危機を乗り越えた強者を物語るその鋭い眼光は、山崎を全身を硬直させられているような感覚に陥らせた。





「自分がどんなに無謀なことをしたか、分かっているの? 私の助太刀がなかったら、あなたは負けて、殺されていた」



山崎は言葉が出なかった。



喉が渇ききっており、声帯が張り付いたようだ。




「新米隊士を見殺しにできるほど、私は厳しくないわ。ただ、なりふり構わず、くだらない自尊心のために勝手に行動する部下を許せるほど、寛容な心はもっていないの」




譲は鞘から血に塗れた短剣を振り抜き、その刃先を山崎に向ける。





「本当はこの場で家里ともども切腹…………と、言いたいところだけど」




すっと、譲の瞳から厳粛な光が消える。




短剣を鞘にもう一度しまいなおすと、譲はため息をついた。




「新米隊士を殺すなんて目覚めが悪いわ。新米殺しなんて汚名を着るのはごめんよ」




譲は懐紙で家里に軽く止血を施すと、遠慮なく彼を無理やり立ち上がらせ、その縄を山崎に握らせた。









山崎が驚いたように譲を見上げるが、譲はそれ以上は何も言わなかった。