幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜










無事に三人遭遇するという最悪の事態は避けられていた譲が連れてこられたのは、この店を取り仕切る女将………つまりはみなから【お母さん】と言われている人の部屋だった。








番頭はその部屋に譲を通すと、譲に対して正反対の仰々しい態度で、お母さんに頭をぺこぺこと何度も下げながら、譲から渡された文を預ける。







文の差出人を見て、お母さんの目も一瞬小さくなる。









そして、番頭に命じる。








「事情はよぉわかりやした。ほな、おまえはいったん下がりぃ」









江戸とは違い、京の遊郭のお母さんはこんなやんわりとした言い方なのだろうか。








そんなことをぽつりと思いながら、番頭が席を外すのを見届ける。









そして、密室の空間で、おかあさんと向き合う。







緊張で、譲は居直した。






「で」







おかあさんはぴしゃりと背を伸ばして、綺麗な正座をして、威厳とした態度を崩さない。







「あんさんの用件は大体わかりました。あの吉原の花魁、実風からの頼みなら、聞き入れてもええ。ですけどなあ、ここ島原は何か能がないとあかんのや」








「能………とは」







冷や汗を流しながら訊き返す。









「つまりは、武芸………舞を踊れたり、お三味線が弾けたり……ということや。それができひんのなら、座敷に上げるわけにはいきまへん」









譲はごくりと生唾を呑みこむ。










また………自分の胡弓の音色をこんなところで売ってしまうのか。







だが、背に腹は代えられない。






一瞬、母の悲しむ顔が脳裏に浮かんだ気がしたが、その幻想を振り切ると、譲は少し張った声で言う。









「私は………胡弓が弾けます」








「胡弓? ……ほお、珍しいものを弾けるんどすな………いいでっしゃろう」









おかあさんはそう言うと、実風の文を懐にしまう。









「あんさんは見込みがありそうやな。長年、実風の傍にいたさかい。そうやな、給金はあんたが売り上げたうちの半分………実風の頼みや、着物などはうちで用意しましょ。それから、ここで遣う言葉は、東(あずま)言葉ではありまへん。廓詞(くるわことば)を遣ってもらうさかい」








「はい」







「座敷には明日からでも上がってもらいます。あと、あんさんに紹介したい娘がおるさかい、すこし待ってください」







「はあ………」







そういう言うとおかあさんは部屋を出、どこかへ行ってしまった。







数秒もしないうちに、ある娘をつれて戻ってくる。







初々しさのある自分よりも年下の娘だった。






娘はおかあさんに促されて正座をしてお辞儀する。







「この娘は、一昨日、新造になった娘で、あんさんの傍に置かせたいんや」







譲は開いた口がふさがらなかった。






「ちょっとお待ちください!私の位を………そんなに高くしてよろしいのですか!?」







新造を抱えるということは、相当、位が高いことになる。






確かに、譲は実風の傍にいた。






それに、遊女の最高位である【花魁】と同等の位…、芸者の最高位、【太夫(こったい)】の位までのぼりつめようとしたこともあるが、さすがにそれは辞退した。







そして、その太夫の傍で手伝いをするのが新造。






譲も、初めて吉原にいたときは花魁である実風の新造だった。








「わ……私、胡弓しか弾けませんよ!?」







すると何がおかしいのか、上品におかあさんは笑った。







「なにも、今すぐ太夫の地位におくわけやありまへん。ただ、あんさんにはその素質があるんどす。【胡弓姫】さん」