車椅子から見える愛


ほんとに私のことを、私の脳性麻痺を治したかったのなら、もっと頑張れば良かったのではないか?


そう思った人もいるかもしれない。


でも、両親やおばあちゃんにも相当な精神的な負担、肉体的な負担もかかったんだよ。


それに一番母が、もういい、これ以上やっても効果はあまり期待できない。
と感じたことがあるの。


それはやはりアメリカの、あの母親のようにはできないということなのよ。


あの本を書いた母親は直接ドーマン博士から指導を受け、3人でやる訓練以外に、大きな滑り台を家の中に作り、まるで家の中がトレーニングジムか?と思うようなものをたくさん作っていたのだものね。


これはやっぱりうちでは無理な話なのよね。


かといって、何にもしないということはなかったよ。


母は私なりに私が成長すること、少しでも脳性麻痺の症状を、軽くすることはないかと考えていたの。