ただただ、毎日やらなくてはいけないことをやるので精一杯。
かりんを送り、裁判所へ出向き、打ち合わせや法廷でのやりとりなど、全部一人でやらなくてはならない。
裁判所に行っても、いったいこれは何の裁判で、いったい私は何をしているのかわからない状態。
凉太のためにしっかりとやらなくては、その思いだけで、次第に裁判所へ行くのも精神的な負担になり、吐き気がしたりするようになった。
私がやらなくて誰がやる?
意見陳述も申し出てやった。
とにかく凉太を返して欲しいのだ。
それ以外に許せる方法はない。
元の姿にして戻してください!
そう訴える。そして厳しい判決を裁判官に求めた。
凉太の死から1年後、主人が亡くなった。突然の死だった。
3月だったので、お葬式の日はかりんは担任の先生に教室でみてもらうことが出
来た。
かりんの世話と裁判のことで、私はもう力が出ないと思った。
主人の親戚や友達が手伝ってくれたので、私一人で葬儀のあれこれをやらずに済んだ。でも喪主は私であるので、当然忙しいのである。
主人は絶望したのだ。
もし凉太が生きていたら、もっと生きられたのではないかと思う。
どうしてうちばかりこんなことが起こるのだろう?霊柩車の中でもう私は悲しみという感情もなかった。
これは何なのだろう。
そんな気持ちしか湧いてこなかった。


