派遣切り。
そんな言葉が普通に日本語として使われ始めたのはごく最近。



ふらふらと魂が抜けたように歩く、田嶋 七海(26)は、5年勤め上げた会社から派遣切りを言い渡された。




ありえへん....これからどうやって生活していけばええんやろ...
てか普通、5年もおる奴切るか⁈
もしかしたら、この会社でゆくゆくは準社員になってそのうち社員になれるんやないかって漠然とおもっとった。
そう希望を持って、面白くもない仕事を黙々と続けてきた5年間はなんやったんやろう。
会社に対する怒りも疑問も堂々巡りで、全然答えがみつからない。




時間返して欲しいわ...



親と喧嘩して飛び出してから早8年。
啖呵をきって飛び出してきた手前、親に頼るという選択肢はない。
仕事を失うことは七海にとって死刑宣告を受けたも同然だった。





これから仕事を探すにしても20代後半の、ずっと派遣の仕事しかしてなかった女を雇ってくれる会社はあるのか。この世知辛い世の中で。
……いや、何が何でも早く別の仕事、見つけんとのたれ死ぬっ!
お腹空いて動けなくなって、孤独死、とかいややあああああっ!



最近よくニュースになっている孤独死が身近に迫っていると思うと、いてもたってもいられない。
けど、焦ってもどうにもならないわけで。
落ち着け落ち着けと呪文のように唱えながら、見慣れたコンビニが目に入る。
耐え兼ねたように、腹の虫が鳴った。



.....こんな時でも、お腹すくんや。なんか情けない。




腹の虫が鳴っても、さすがに今日は何もしたくない。
今日は贅沢して、コンビニで食料を調達しよう。



自動ドアをくぐると、寒いくらいの冷気が店を満たしていて鳥肌が立った。
鳥肌の立った腕をさすりながら適当に弁当のコーナーをのぞく。
お昼のピークをすこし超えた時間だからか、弁当達はほとんど残っていなかった。ポツンと残っていた冷麺を手に取り、やる気がない店員に渡す。
店を出る前に、自動ドアの横に置かれている求人紙を忘れない。



仕事探しは明日からにして、今日は家帰ってご飯食べてふて寝や。
店員のやる気のなさに殺意が湧いてしまうあたり、思ったよりダメージがでかいみたいや。
仕事があるのはありがたいことなんやで。
振り返って、そう言ってやりたいのをぐっと堪えて、自動ドアをくぐった。



















「こんにちは、異界の方。」






「.....は?」

目の前には、漆黒の美男。
全身真っ黒な服をきていてカラスっぽい。動くたびに微妙に色がかわる。
東洋美人も裸足で逃げたす艶やかな黒髪は、微妙に引きずるくらい長い。

かなり怪しいコスプレ男は、満面の笑みで視線を合わせて来る。


あ、やだ、ムリムリ。


「人違いですか?勧誘やったら迷惑です。」
「いえ、人違いでも勧誘でもありません。貴女に声をかけているのですよ。」


にこにこと言われて、眉間にシワがよる。

こちとら仕事なくして生きるか死ぬかの瀬戸際やぞ。
コスプレしてる痛い兄ちゃん相手してる暇ないっちゅうねん。



「私、急ぐんで」




コスプレ男の横を抜けようとして、はたと周りをみる。
今までどうやり過ごそうか必死すぎて、周りを全然意識していなかったが明らかに「異常」だった。

「こ、こ....どこ......?」
確かにさっきまでコンビニに居た。
証拠に冷麺が入った袋と仕事情報誌が、私の手に握り締められている。


慌てて後ろを振り向いても見慣れた自動ドアはなく、いっそ禍々しいといえる大きな部屋の入り口がぽっかり口を開けているだけ。

ぽかんとしながら、呆然と周りを見るとかなり広い部屋だとわかった。


それにしても、悪趣味な部屋。
部屋中が真っ黒。
でもこれだけ黒くて灯りも無いのに、なんで見えるんやろ?


「ここは魔王城の謁見の間です。
あなたは僕に異世界より召喚されて、今ここにいるんですよ。」

「、は?」


ん?しょうかんって召喚?イセカイって異世界?
え、この人何言うてるん大丈夫か。

隠すことも忘れて、ドン引きすると男はクスクス笑っている。
「今こいつ頭おかしいとか思ったでしょ?」
「....信じるわけないやろ。新手の悪戯?詐欺?なんでもいいけど、いい加減にしてもらわんと警察呼ぶで?面倒はいややねん。
だいたい、早く家に帰って、冷麺がぬるくならんうちに食べて寝て仕事探さなあかんねん。
私にはお金もないし、ついでに言えば私の親とは勘当しとるから身代金を払う人もいないし、私を心配して捜索願い出してくれるような心優しい友人もおらん。
わかる?利用価値皆無だからさっさと私を元のコンビニまで案内してや」


...自分で言いながら悲しくなってきた。
でも嘘やない。今住んでいる所は少し前に引っ越したばかりの所で、近所付き合いなんて私にはバカらしくて。




こんなことになるなら、無駄な愛想、振りまいとけば良かった....!





「今の話を総合するとあなたには現在、仕事をしていないということですね?」
「...確かに仕事はなくなったけど、さっきの話からなんでそこだけ拾った。」

違った?
と可愛らしく小首を傾げる男に、殴りたい衝動に駆られながら、なんとか耐えた自分に拍手喝采。

ピシ、とこめかみに青筋が出るのを感じながらできるだけ冷静に答える。
ここで感情を爆発させたら負けだ。


まあ、私があと5歳若かったら迷わず殴りにいくわ。
大人になったの、これでも。


「そんな君に、朗報があります。」


にっこり。

何が朗報か。
話を何一つ聞いていない上に胡散臭い。
とくに笑顔が。
ここまで胡散臭いと、もはや才能やと思う。

....手を乙女のように合わせて言うな。キモチワルイ。

ジト目で見ているのに気づいているのかいないのか、男は気にした風もなく話を進める。



「あなたにしか出来ないお仕事の提案です!
お給料は物品支給。
衣食住に関わること、全て支給します!
期間は任務完了までとさせていただきます。
今ならなんと可愛らしいペットもついてくる!」




なんだ、このジャ○ネットなノリは。
いや、こうして話を聞いてやる義理もないんやからさっさと帰ればよかったんや。
イタイ行動以外には、どうやら害はなさげやし。

「もう帰ー…」
「そのお仕事とはっ」

いつの間に距離を詰めたのか、びしっと顔の真ん中に人差し指が立てられる。





ひ と の は な し を き け !










「魔王と一緒に勇者を倒す!
魔界の勇者、だっ‼」


どやっと胸を張っているが、なにそれ。
生きるために仕事をするのに、命を懸ける気なんぞ毛頭ない。そもそもまず職業として成り立つのか?
大丈夫かこの人、いや、危ないに違いない。


「……やりません。」


がーんっ!
っていう音が聞こえたような気がするくらい、ヤツは打ちのめされたようだ。

ざまあ。






冷静に返した私に、男はやたら必死て食らいついて来る。
やめてくれ、私には魔界の勇者なんていうわけのわからない、しかも命の危険がありそうな仕事なんぞする気は毛頭ない。もっと堅実な仕事がいい。


「えっなんでなんで、ダメなんですか?
どうしてダメなんですか。
生活が保証されるんですよ。
お金もいらないんですよ。
確かに終身雇用ではないですが、ここにいる間は貴方に決して、不自由な思いはさせませんから!だからどうか僕と一緒に勇者を倒しましょうよー!」



大の大人に、「勇者を倒そう」なんてお誘いをうけても困る。
大体、私よりもでかい図体していながら縋り付かれても、こっちは身の危険を感じるだけだ。顔がムダにいいだけに、心臓にも悪い。うっかり肘鉄くらわされても文句は言えまい。




「個人の趣味に他人を巻き込むなっ!
出口どこ、もう自力で帰るから。表示とかないんか....服の裾を掴むなっのびるやろっ!」



わんわんいいながら、服を掴んで離さない男を尻目に出口をさがす。
このTシャツ気に入ってたのに。




男は魔界の勇者とやらのメリットを涙声で語りながら、律儀に出口までの道案内をしてくれる。
道案内だけを耳に入れながら、周りを観察する。どこもかしこも真っ黒だが、やっぱりちゃんと見える。
どないなっとんやろう?
雰囲気を言えば、中世のヨーロッパのお城なんやろうか?
甲冑の代わりに趣味の悪い魔物?の像が等間隔に置かれているのにはドン引きや。しかも一体ずつ違うし。


1人で歩けると言われたら罰ゲーム並みの空間でも、観光気分でしげしげと周りを見ながら行けたのは、横で鼻を垂らしている男のおかげだ。


「そこを右にまっまがったらぁ..ズビッ...魔王城の、で、でぐち、ですぅ...」

「あー、はいはいありがとうな。
じゃ、私なんかよりももっと優しい人見つけて魔界の勇者役してもらいな。
ほら、このハンカチはあげるから、そのズルズルの顔どないにかして。
ほなね。」


ようやく離されたくしゃくしゃの服を伸ばしつつ(完璧に伸びきって形がおかしい)外にでた瞬間、私は凍りついた。





今にも雷と豪雨がきそうなくらいの真っ暗な空。
目の前広がるのは、アスファルトに舗装された道ではなく、鋭い岩達が転がったどこまでも荒廃した大地。
耳慣れた人のガヤつきや車の喧騒はなく、狂ったような風の音だけが響いている。少し遠くの方には、薄紫色の霧がかかっていてそれより向こうは見えない。
生命の息遣いというものを全く感じない、荒みきった世界が広がっていた。




「な、に...こんな...」
「ぶびーっ!だがら、貴方は僕に、うう....じょうがんされたんですっぐすっ魔界の勇者になってもらうために」


ブビーッて私のハンカチに鼻水を絞り出しながら、男は言った。 汚い。



「....ここまでくれば、納得していただけるとおもって。
申し訳ないのですが、貴方に選択の余地はないのです。」