そんな静かな空間に、突然けたたましく鳴り出したレトロな黒電話の呼び出し音。
誰かの携帯電話の呼び出し音だろうか?なんて思っていると、マミさんが立ち上がり、みんなの荷物置き場状態のちゃぶ台へと向かった。
案の定マミさんはバッグからスマホを取り出して、音を止めた。
電話には出ずに、スマホを持って席に戻ってくる。
電話じゃなくメールかな?メールに電話の着信音なんて変なの。
席に戻ったマミさんは、スマホをちゃぶ台の上に乗せて、再び蕎麦を食べ始めた。
するとすぐにちゃぶ台に振動が起こる。
マミさんのスマホは音を切ったバイブ機能だけで着信や受信を知らせるように設定されたのだろう。
ちゃぶ台の上のスマホを覗き込んだミオさんが、「マミさん、これ、いいの?」とス言いながらスマホを指差した。
「今は、いい。」
そう短く答えたマミさんは、蕎麦をまた口にする。
しばらくちゃぶ台を震わせたスマホは、またすぐに振動を始めた。
スマホを無視していたマミさんも三度目には観念したのか、スマホを手に取る。
すると、何故だかこの空間にいる何人かがマミさんを見た。
「はい。……そうです。………え?」
スマホへの着信に出たマミさんは、電話越しの誰かの話に目を丸くした。
なんとなく気になってしまい、ざるそばを食べながらもどうしてもマミさんを見てしまう。
「あー……そんなんじゃないよ。違う。……平気平気。…………それは無理。…いや、無理だって…………………大丈夫だから。………んー、解った。ちょっと待ってて。」
しばらく電話をした後に、マミさんは再び席を立つ。
気になってマミさんを目で追う私。
マミさんの周囲で何か急ぎの用事ができたのだろうか?なんて思った。
私の視線の先のマミさんは荷物置き場からマミさんの大きなバッグを取り、すぐ近くにいたミレイちゃんに何か耳打ちして階段の方へと向う。
靴を履いたらしいマミさんは、急ぐような足取りで階段を駆け下りていった。


「マミちゃんどうしたの?」
サラさんがミオさんに聞く。
「指令。多分。」
ミオさんはサラさんに小言で答えた。
小言で答えたけれど、ミオさんとサラさんに挟まれた私の耳にも、ミオさんの答えはもちろん届く。
「シレイ?」
耳に入った単語を疑問系にして口にすると、サラさんは私に言った。
「ちょっとした野暮用よ。」
「んでさ、サツキちゃんはユキ様のなにが好き?」
ミオさんに、大好きなあの人の事を尋ねられて、私はマミさんの事は忘れてブルームーンのユキの話を口にした。
ユキの好きなところはたくさんある。
それを口にし、蕎麦を食べる。
ミオさんはお刺身をツマミにビールを飲みながら聞いてくれる。
サラさんも同じくユキのファンだから、一緒になってユキの話をしてくれる。
こういうの、こうやって同じバンドの同じファンの女の子同志でのおしゃべりをしてみたかった私は、どんどんテンションが上がってきて、ユキの事なんて何も知らないくせに様々なユキのイメージを言葉にして表した。
そんな私の勝手なイメージからのデタラメなユキを、ミオさんはもっと話を盛って膨らませて、サラさんに聞かせて笑う。
そんなのを繰り返しながら食べ切ったざるそばは、いつもの夕飯よりもずっと美味しく感じられた。



ひとしきり笑った後に、サラさんは言った。
「あなた、面白いコね。おとなしい子だとばかり思ってたよ。」
あなた。と、私を見るサラさん。
「それは、私のことですか?」
確認するようにサラさんへ尋ねると、私の問には答えずになにかが面白いのかサラさんはまた笑い出した。
「サツキちゃんって、人見知り?最初全然喋らなかったじゃん。」
ミオさんもクスクスと笑いながら言う。
私って人見知りなのかな?考えたこともなかった事だ。
人見知りというか、緊張した。
あと、驚いた。というのもある。
ブルームーンのファンの女の子の友達が欲しくて、誰かとライブを見にきている誰かが羨ましく見えたし、こうやって私のユキの話を聞いてくれる友達も欲しかった。
偶然マミさんがおしくらまんじゅうの末に倒れこんだ先が私でなかったら、私は今ここに居ないもの。
不思議な成り行きに驚いているのは確かだ。
「人見知りっていうか、私、ブルームーンが好きな友達って初めてで…」
正直な気持ちを口にすると、ミオさんはビールを片手に何度も頷く。
「わかるわかる。それ。しかも一回りも年上なオバサ…」
「ミオ!」
オバサンと言いかけたミオさんの言葉を、サラさんが遮った。
お蕎麦が来た時と同じような展開。
「あー。もう、サツキちゃん位のトシの頃のミオはこんな生意気ばっか言わなくて可愛かったのになー。」
「またそれ?年取ると、昔のことしか言わなくなるよねー。ねー、サツキちゃん。」
ミオさんがサラさんをオバサン呼ばわりするのは冗談にしか聞こえない。
からかって遊んでいるような感じ。そう見える。
「お二人は本当仲良しなんですね。付き合いは長いんですか?」
まるで漫才のようなやり取りをする二人に尋ねた。
「あれ?ミオはブルームーンのライブ来たのいつ?」
「中2んときだから、……4、5年前?」
指折り数えながら、ミオさんは首を傾げつつも教えてくれた。
「え?中2?4年も!」
ふたつの驚きが私の中を駆け巡る。
ミオさんがブルームーンのライブに行ったのが中学二年生という事と、それが4、5年前という事。
ブルームーンってそんなに前からあるバンドだったんだ。
「もうそんな経つのか。懐かしいね、あの頃。」
「ほらまた、昔の話!」
目の前では再び二人の掛け合いが始まる。
だいぶトシの離れた二人が、そうやって言い合う姿はなんだか不思議な光景だ。
サラさんは私と干支が一緒とさっき言っていたので、12歳上となるから28歳のはず。
ウチの一番上の姉よりふたつ年上のサラさん。
こんなに年上のひととは、家族以外ではなかなか接する機会もない。
一緒にちゃぶ台を囲んでお蕎麦を食べながら話をするという事すら、不思議に感じてきた。
「マミちゃん遅いね。ミオちゃん、あげる。これ。」
トンっと、私とミオさんの間に置かれたどんぶり。
突然の事に驚いて声の主を振り向くと、そこにはフランス人形のような容赦のミレイちゃん。
「マミさん、どこに行ったかミレイちゃんわかるの?」
ミオさんがミレイちゃんに聞いた。
「キングのとこ。だから、すぐ帰ってくるよ。きっと。」
キングとミレイちゃんは言う。
キングって王様?
ミレイちゃんって不思議ちゃんなのだろうか?
不思議ちゃんだとしても頷ける気がする外見を眺めながら、内心そう思った。
本当にお人形みたいで細くて目もパッチリ大きくて、まつげも長いなー。羨ましいなー。っとミレイちゃんを見ていると、ミレイちゃんのグリーンのカラーコンタクトの入った瞳が私を見た。
でもそれは一瞬で。
「ミレイちゃん、これ、のびのび。私に食べろって言うの?」
「ミオちゃんいつも食べるじゃん。」
ミレイちゃんの視線はすぐにミオさんに向いた。
「今日はちょっと伸ばしすぎじゃない?蕎麦のびすぎ。ぶよぶよ。」
ほら。と、ミオさんは暖かい汁に浸かりすぎて膨らんでしまった、伸びた蕎麦を一本だけ箸で摘まんで見せた。
「メールしてたら、こうなってたの。増えたからいいでしょ?ミオちゃん食いしん坊さんだもん。」
伸びた蕎麦を、増えた。と言い切るミレイちゃんはやはり天然の不思議ちゃんなのだろうか?
「ミレイちゃん、これは増えたんじゃなくて伸びたんだって。」
蕎麦を見せながらミオさんがミレイちゃんへ説明しても、ミレイちゃんは首を傾げるばかりで。
「じゃあ、マミちゃんのお蕎麦食べれば?とっろろそばーー♪」
よくわからないリズムと音程を付けて歌うように「とろろそば」と言ったミレイちゃん。
「食べるけどさー。」
畳の上に直接膝をぺたんと折って座ったミレイちゃんへ座布団を譲るように、ミオさんはマミさんの座っていた場所に移動する。
そして、マミさんの残したとろろ蕎麦を食べ始めたミオさん。
とろろ蕎麦は蕎麦が固まりかけてはいるようだが、とろろの入った冷たい麺つゆに浸せば食べられるようで。
ミオさんの食事がヘルシーだから痩せているわけではない可能性を見た。
さっきミレイちゃんが、ミオさんはいつもミレイちゃんの食べ残しを食べるような事を言ってたし。
「ねぇね。あたしもサッちゃんとお話したい。」
ねぇね。と、私の学生服の袖を引っ張るミレイちゃん。
子供のようなその仕草が気になり、ミレイちゃんを見る。
すると、グリーンのカラーコンタクトの入った瞳と再び目が合う。
にこっと笑ったミレイちゃんは、お人形のように綺麗な顔も人形ではなく人間なのだと気付かせてくれるようだった。
「えっと…。……ミレイちゃんは、ブルームーンだと誰のファンなんですか?」
突然お話したいと言われても、なにをお話すれば良いのわからず、とりあえず聞いてみた。
「あたしは、レイくんムーン。」
ミレイちゃんは答えた。
ブルームーンのファンの女の子は、好きなメンバーの名前の後にムーンとつけて名乗るのが定番なのだろうか?
さっきマミさんも同じようにムーンを付けていたな。と思い出す。
レイくんとはブルームーンでベースを弾いているひとで、ステージでは無口な王子様キャラ。というか、王子様のような衣装を着たキレイなひと。
ステージ衣装の王子様のようなレイと目の前のミレイちゃん並んだらまるで王子様とお姫様のようだ。
素直にそう思った。
「サッちゃんはユキちゃんムーンってさっき聞こえたよ。」
にこっとまた微笑んで、ミレイちゃんは言う。
「はい!大好きです!」
そう答えた私に、ミレイちゃんは一度目を丸くして、「あたしもレイくん大好き!」と言った。
「ごめんね!!みんな、電車大丈夫?」
遠くから、マミさんの声がして、階段の方を見る。
そこには、急な階段を駆け上がってきたのか、息を荒げて肩で息をしたマミさんが居た。
マミさんの言葉を聞いて、左腕の制服の袖をそっと少しだけめくる。
腕時計の文字盤を指す時計の針の先を見て、私は唖然とした。
時刻は夜の11:47。
私の家へ帰るための終電の時間は、11:35。
もう既に電車は発車している。