浅草のウィンズの裏側に立ち並ぶ、言葉を選んで言うなら「レトロ」な飲み屋街に、石岡は来たことが無かった。また、こんな所を森川が選ぶのもなんだか似つかわしくなく不思議な気がした。それなのに彼がスタイリッシュな、と表現されるような薄い桃色のシャツと少しビンテージの加工を施したようなデニムのパンツでビールケースの積み重ねられた簡易テーブルとパイプ椅子に座ってビールを飲んでいる姿はやはりここにぴったりと嵌っている。

持ち上げたジョッキを口元に置いたまま動かせずに、森川が今なんて言ったのかもう一度聞き直す必要がある。

「今、何て?」

「君を好きになった、って言った。君に恋している、という意味で。」

聞き違いじゃなかった。ビールジョッキを白いベニヤの天板に置いて石岡は何て返事をしたらいいのか、とそんなことも考えられずにいる。

(一体何を考えているんだ、この人は。)

「あの・・・そうだな・・・そう、俺は」

男だし、といいかけてやめる。そんな分かりきった事、知ってて言っているのだ、森川は。躊躇いもなく。男も、女も、彼の魅力に落ちないわけがない、と彼自身が知っているように。

「穴瀬のことが好きなんでしょ?」

「・・・えっ?」

「知ってるよ。」

森川はジョッキをグイっと傾ける。そして石岡を見つめる。

「知ってるよ。石岡、穴瀬のことが好きなんでしょ?そんで、俺が穴瀬と付き合ってた事も知ってる。」

そうだよね?という目をして森川が小鉢から枝豆をひとつ取った。プツリ、プツリと豆をひとつづつ形のいい唇に放った。


新しい仕事のヒントになるから、と連れ出された休日、下町の博物館のような施設を大小幾つも回って、浅草の今始まったばかりの夜に森川といた。夢のように過ぎた夏休みの三泊四日が本当に夢だったのかもしれないと思うほど、戻ってきた現実は案外手厳しかった。お盆休みではなく、世間が普通に動いていた4日間を取ったのだから、まるで取り残されたように時間の過ぎ方が早いのは当たり前といえば当たり前だった。ここ2週間、週末はぐったりするばかりだったので久々に息抜きができたような気がしたこの休日は、半分仕事だったとは思えない程充実していた。そんな一日のあれもこれも森川が石岡を想ったからこその楽しいひとときだったのだと改めて思う。

石岡はビールジョッキを持ち上げて、そしてまた下げた。言葉を捜しているのに見つからない。それもそのはずだ。何を考えているのか自分でも分からなかった。

「石岡?」

森川が石岡を呼んだ。その声はとても切なげに赤提灯の下で滲んだ。