残業が少ないのはこの会社の良い所だと思う。でも社長がまだ出てこなくて穴瀬が応接に残っているのに先に帰るのも気がひけたので、石岡は雑用をこまごまとやりながら珍しく残業していた。先ほどから1時間ほど経過している事に気付き、石岡は給湯室へ行った。温かいものがいいかなあ、と思う。ドリップのコーヒーを二杯作った。一杯は自分の分だった。

応接室のドアをノックする。はい、と小さな返事が聞こえた。湯気の出ているインサートカップのコーヒーを向かい側から置く。ポーションのミルク、スティックシュガー。そして汗をかいた麦茶のグラスを小さなお盆に乗せる。一連の作業を穴瀬が見守っているのが分かる。

「若いのに、気が利くよね。君って。」

穴瀬はスティックシュガーを石岡に渡しながら言った。

「へ?」

スティックシュガーを受け取りながら、穴瀬の思わぬ言葉におかしな声が出てしまった。

「お茶。麦茶。コーヒー。今日付けの新聞、雑誌の新刊、本の種類も。」

「あ・・・いえ、それは、社長がそう指示してくれたんです。」

「うん、今までもこんなことあったよ。長くかかるから何か持っていくようにとかなんとか、森川さんがそう言ったら、大抵の子はそれだけ持ってくるんだ。本も雑誌も適当に1冊か2冊、多分目についたものとか手に取るのに近かった方とかなのかな。新聞は一日くらい古かったりする。金具をわざわざ外して持ってこないから。それからお茶も新しいお茶が来たことはないよ。みんな悪気があるわけではないんだ。ただ気付かないだけ。」

穴瀬の意外な賞賛に石岡はなんだか小さな子どもが憧れているおねえさんに褒められたときのようにどぎまぎした。

「いえ、あの・・そんな・・・」

「コーヒーはミルクだけ、入れるんだ。ありがとう。」

穴瀬はコーヒーを口に運びながら、あの、出し惜しみをするような笑顔を作った。石岡は自分の顔赤くなったのが分かった。心臓が縮んで、広がって、血液をぎゅーーっと押し出したのが分かった。

「就業時間過ぎたでしょう?僕は大丈夫だから、もう帰ってもいいよ。森川さんには、僕が言っておくから。」

穴瀬の声がぼわんぼわんとエコーが掛かったように聞こえる。

「えぇ、いえ、まだ少しやることがあるので。」

石岡がやっとそう言えた時、応接室の内線が鳴った。社長室からの内線だった。