8.

「バカだね・・・。いい年して、ノンケに本気になるなんて」

マンデリンを一口啜って薫が言う。その声は、言葉の強さの割りに物静かに響いた。コーヒーカップを低いテーブルに置き、薫は俺を見る。

「人間って報われない相手をあんなに愛することもできるんだね・・・。辛いんだろうけど。でも、そんな恋、一生に一度だってないかもしれない。誰にでもできる恋じゃない。誰かの代わりに抱かれた男が『代わりでもいい』って思えるくらい誰かを愛するなんて、ちょっとないよ?」

薫は俺を探るように見ている。湖山さんを諦めたくない気持ちがどんどん溢れてきて、そうだ、あの夜の(朝方の?)蛹(さなぎ)がその蜜を吸ってどんどんと胸の中で大きく育っていくようだった。俺は薫に気取られないように、なんでもないような振りでコーヒーカップに手を伸ばした。醜態を晒しきった相手でも、こんなに惨めに誰かを想い続ける自分のことが情けなくて、諦め切れないどころか膨れていく自分の想いを隠したくて、俺は薫の目を見ることができなかった。


「だめだよ、こんな恋、簡単に諦めたりしちゃ。」

薫がそう言ったとき、もう俺は目をそらしていることができずに薫を見た。薫は本気で言っているのだ。

慣れた仕草で胸ポケットの中から名刺入れを一枚だすと、その裏に何か書き付ける。携帯電話の番号のようだった。俺のマンデリンのソーサーの横に名刺をすっと出して、その手が一瞬止まる。短く切りそろえた爪。そう、湖山さんと似ていない。少年のような手。この手があの夜、俺を抱いたのだろうか?俺の背をあんなに掻いて、そして優しく撫でたあの手。

どうしてこんな風に「代わりでもいい」なんて言えるんだろう。この男なら相手になりたい奴がいくらでもいるはずなのに。

「もし・・・」

そして俺は、思ってもみないようなことを思っていたのだ。

「もし、次に薫と寝ることがあるなら、その時は湖山さんの代わりなんかじゃなくて、ちゃんと薫と向き合いたい。他の誰かなら、いくらでも代わりにできたかもしれないけど、あんたのことは、もう、傷つけたくない」

「・・・バカだなあ、タクミくんは・・・。傷ついてるのはタクミくんなのに・・・」

どうして、たった一晩の出来事が、こんな風に人を傷つけたり、庇ったりするんだろう。
湖山さんに似た瞳、伏目になると、その睫の長さもやはり似ている。色も細さも湖山さんに似た髪が耳に掛かっている。黒ぶちの眼鏡のつるが髪を少し持ち上げてまた戻る。その
細い肩も低いソファからゆるく伸びた足の膝頭の感じも、やはり湖山さんとよく似ている。

そして、笑うみたいにため息をついて薫はこちらを見る。首をかしげて、にっこりと笑う。

「似てる?」 
と、薫が訊く。

「うん」
と、俺は答える。