「……礼太、お前に話しておきたいことがある」


しばらくの沈黙の後に、父はそう切り出した。


膝に置いた拳にぎゅっと力が入る。


「父さんの、姉のことだ。父さんには双子の姉がいた。知っていたか」


「…知らない」


聞いたこともない。


父の語り口から言って礼太が生まれる前に亡くなっているのだろう。


礼太は戸惑った。


父は何故、姉の話を礼太にしようと言うのか。


「姉さんはな、お前と同じで奥乃家の力を持っていなかった。」


はっと顔をあげると、礼太を見つめる父の目は、どこか悲しげだった。


「姉さんは子供の頃に亡くなった。十二歳の時だ。だからおぼろげな記憶でしかないが、おとなしくて優しい目をしてた。……お前によく似てるよ。

お前のお祖父さん、前当主は自分の子供が力を持たざる者であることが気にくわなくてな、姉にだけいつもどこかそっけなかった。なぜお前は出来損ないなんだと、はっきり声を荒げたこともあった。」


ずきり、と心臓が嫌な痛み方をする。


出来損ない、ここ最近ですっかり耳慣れた言葉だ。


「姉さんは力を欲しがっていた。自分だけ仲間はずれの上に父親からは邪険にされる。自分も奥乃家の役に立ちたい。そう思ってた。

ある日、姉さんに言われたんだ。『あんたが羨ましい』と。それまでもずっと心に秘めてきたことではあったろうが、けして口にはしなかったのに。同じときに生まれた双子なのに、私だけ出来損ないだ、あんたが羨ましいと。」


そこまで一気に言って、父は深く息継ぎをした。


感情を押し殺しているようだ。


「父さんはその頃、仕事が心底嫌だった。小さな頃から修行修行。他の子が遊んでいるときにも依頼をこなさなくちゃならない。怖い思いをするのも嫌だったな。父さんは…本当は臆病者だ。

だから、羨ましいと言われて心底腹が立った。何も知らないくせにと思ったよ。何も知らないから悠長に羨ましがっていられるんだってね。

そして言ってはいけないことを言ってしまった。」


『姉さんは出来損ないなんだから仕方がないだろう。羨ましいんなら指をくわえてみてるだけじゃなくて自分で妖退治に行けよ。やれば出来るかもしれないのにやってないのは姉さんじゃないか。』


「姉さんは真に受けてしまった。この家には探せば妖に関する本が山ほどある。おそらくずっと隠れて読んでいて、知識だけはあったんだ。親父たちを出し抜いて一人で妖が棲んでる場に行って、死んでしまった。」


父の悲しげな目の理由がわかった。


ずっと悔いているのだろう。


姉を死に追いやったのは自分だと、ずっと自分をせめている。


「父さんが僕を当主にしたくないのはそのせい?父さんのお姉さんと同じように、一族の仕事に関われば僕が死んでしまうと思ったの」


父はうなづかなかったが、そういうことだろう。


もちろんそれだけではないだろうが、過去の後悔が今度は恐怖となって、父に囁きかけているのだ。


お前の子も死ぬぞ、と。


「……礼太、お前は姉さんによく似てる。大人しげなところや、意外と頑固なところ。お前に力がないとわかった時、心底恐ろしかった。また喪うと思った。お前をできる限り家業から、夜の闇から遠ざけた。父さんはお前を失ったとき、耐えられる自信がないから。」


父が弱音のようなものを吐いたことが、今まであったろうか。


いつだって父は強い人だった。


礼太の指標だ。


誇り高いこの人が、なぜ今更になってこんな話をするのか。


「なんで……なんで今になってそんな話するの。僕をそんなに家業から遠ざけたかったなら、僕が次期当主に選ばれた時に話してくれればよかったじゃないか。」


話してくれていれば、父から蔑まれているのではないかと傷つくこともなかったのに。


父の気持ちが分かっていれば、もっと強固に次期当主の座を断っていただろうに。


いつになく強い口調で問いただす礼太に、父は言った。


「華女に頼まれた」


「華女さん?」


「ああ、礼太の味方であって欲しい、心の支えになってやって欲しいと頼まれた。」


父は苦笑った。


「まったく、これではどっちがお前の親か分からんな」


父は再び顔を引き締め、真剣な面持ちで礼太に向き直った。


「礼太」


「…はい」


「父さんは今日、当主からお前が選ばれた理由を聞いた。」


「うん」


「……やむをえない事情であると、納得させられた」


「………」


父の哀しげな微笑みが、華女のそれと重なった。


声をだそうとすると、ひゅっと喉が縮んだ。


口をぱくぱくして、なんとか絞り出した声は掠れていた。


「父さんは、華女さんの話を聞いて納得したの」


「ああ」


「僕が次期当主でいいの」


「ああ」


「そんな大事な理由なのに、当人の僕にはまだ話せないんだ」


「……いつか、嫌でも知ることになる。今はまだ、その時ではないんだ。なあ、礼太」


周りの静けさがたまらなく嫌だった。


まるで沈黙が礼太の心中に聞き耳をたてているようだ。


父は礼太の混乱を知ってか知らずか、言葉を続けた。


「礼太には、父さんがいて母さんがいる。華澄と聖もいる。この先、辛いことが待っている。お前がこれから背負うものは…背負って生まれてきたものは生半可なものではない。でも、どんなに苦しい時も、どうか家族の存在を忘れないでくれ。お前のことを心の底から想っている家族だ。お前は独りじゃない。それだけは、いつでも心に留めておいてほしい。」


瞬きを数回して、礼太はうつむいた。


「父さん……わけわかんない」


「まぁ、そうだろうな」


ふつう、ここにきて家族に絆を説かれるとは思わない。


しかし、父が礼太に伝えようとしたことはあたたかな感触として、確かに心の中に残った。


今は分からなくても、いずれわかるかもしれない。


「えーと、話おわり?」


「ああ」


「じゃあ、ご飯だ。もうできてるって。あんまり遅いと母さんが不機嫌になる」


わざと明るい調子で言うと、父もおどけた声で言った。


「そうだな、それが一番怖い」