「父さん、ダメだよっ当主の許しなく奥に入るなんてっ」


礼太たち兄弟に、当主の間のその先に勝手に入ることを堅く戒めた本人が、その禁を侵そうとしている。


当主の間の前を通り過ぎ、父に引きずられながら暗い廊下に足を踏み入れた時、礼太は冷や汗が背中を伝うのを感じた。


そこはもはや、礼太の育った家とは別の空間だった。


『当主の間の奥に入ってはいけない、けして』


幼い頃に刻み込まれた戒めは、礼太にとって絶対だった。


父も先代当主の子。


この屋敷で育ったのだからそれは同じはずなのに。


父はそれ以上の何かにつき動かされているようだった。


容赦無く礼太を引っ張る腕は少し震えている。


本当は穏やかな父。


一ヶ月前まで、父のこんな面は知らなかった。


礼太ははじめて疑問を抱いた。


父は果たして、礼太が次期当主に指名されたからと言って、あれほど激昂する人だったろうか。


確かに力を持たぬ者が当主となることは、長らく退魔師としてやってきた者に対する侮辱に等しいことだろう。


この家の行く末が心配でもあるだろう。


しかし、父はそんな類のことで怒る人だったろうか。


父はまず声を荒げない。


礼太たちをしかる時もひたすら静かに、諭すようにしかる。


そんな父だからこそ、礼太は尊敬していたし、認められたいとも思っていたのだ。


(父さんは、どうして……)


この件に関してだけこれほどまでに感情をあらわにするのか。


父の足は止まらない。


突き当たりを右に曲がると、障子がどこまでも連なっていた。


奥が遠すぎて見えない。


先のない淀んだ闇が恐ろしかった。


ごくりとつばをのむ。


華女はこんなところに住んでいるのか。


さらに奥に進み、父は障子を開けた。


華女がいた。


何もない畳の部屋で、けだるげに壁に寄りかかっている。


格子の隙間から微かに漏れ、華女の白い相貌を照らす光は濁っていた。


見下ろしているせいなのか、その顔はいつもより幼く見えた。


華女の切れ長の瞳が兄とその息子を映し出す。


ゆらり、とまるであやつり人形のように華女が立ち上がった。


礼太の父を見上げるその目は、怒りと侮蔑に満ちていた。