「聖、入っていい?」


「どうぞ」


気の入らない返事に少し尻込みながら襖を開けると、こちらを見た弟の表情はたちまち嬉しげにほころんだ。


「兄さん!」


小学校の制服に身をつつみ、さらさらとした黒髪に眼鏡が生真面目で清廉なイメージを与える少年が、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「なにしてたの?」


「ん、宿題してた!」


無邪気な反応が可愛くて、思わず頬が緩む。


聖はいい子だ。


このご時世、小学生とてある程度はひねくれていて然るべきなのだが、聖の笑顔はいつまでも無垢なままだ。


小さい頃から修行三昧で、ろくに遊ぶ暇も与えられなかったというのに。


聖はいわゆる『美少年』というやつらしい。


女子テニス部の先輩がたまたま礼太と一緒にいる聖を見て、


「あんたの弟、超美少年ね!」


と教えてくれなければ、多分一生気づかなかった。


「父さんが聖を呼んでるんだ。お部屋にいらっしゃるはずだから、行っておいで」


「うん、分かった」


どこか甘やかな匂いを残して、聖は元気よく部屋を飛び出してゆく。


一人弟の部屋に残された礼太はふぅ、とため息をついて、久々に来た弟の部屋をぼんやり見渡した。


本家のでっかいお屋敷の、ほんの一角に礼太たちは暮らしている。


こじんまりとしているが、礼太の部屋よりだいぶ片付いている。


几帳面な弟らしい部屋だ。


弟の部屋を離れ中庭に出ると、綺麗な錦鯉がゆらゆらと泳ぐ小さな池がある。


小学三年生の華澄が鯉を両手で抱えて自分の部屋に持って入ってきた時のことを思い出して思わず吹きそうになった。


あれはきっと、父に叱られて落ち込んでいた兄を励まそうと思っての行為だったのだろう。


結局怒られては大変だと慌てて池に戻させて、廊下を拭き掃除したのは礼太だったが。


…………華澄と聖は、きっと今頃、父さんと次期当主の座についての話をされている。


近頃、当主の体調が思わしくない。


当主の名は、奧乃 華女(はなめ)。


礼太たちの父親の妹だ。


妹といっても歳はかなり離れており、華女はまだ若い。


子どもはおらず、結婚もしていない。


前当主、礼太たちの祖父が床に臥した時に、礼太の父、さらにはその上の兄を差し置いて、齢12で当主の座についた。


もともと身体の強い方ではなかったのだが、ここ最近はかなりひどい。


………早めに次期のことを決めておいた方が良いのではないかと、ひそひそと、しかし不躾に親戚の人々が話していたのを聞き及んだことがある。


華澄か、聖か。


父は恐らく、どちらが選ばれても心乱すなと、2人に忠告をしている最中だ。


生真面目な聖も、いつもは騒がしい華澄も、きっと神妙に聴き入っていることだろう。


「どうしたの?」


縁側に座り、ぼんやりとしていた礼太は突然声をかけられ慌てふためいた。


「は、華女さん」


うす暗い中、着物を着た細い女のシルエットがぼんやりと浮かび上がる。


若き当主、華女はおかしそうに、ふふ、と笑った。