「家について、車を止めて、眠る娘を起こさないように玄関をくぐろうとした時でした。

また、娘が痙攣し始めたんです。

慌てて病院に引き返そうとして玄関から出ると、痙攣はぴたりと止みました。

これはどうもおかしい。

じいちゃんは恐る恐る、母さんを連れてもう一度、ドアをくぐりました。

その途端に、娘の小さな身体が痙攣を始める。

じいちゃんはすぐに外に出て、そのまま母さんとばあちゃんを連れて、その日はホテルに泊まりました。

翌日、祓い屋をもう一度呼びつけて、盛大に文句を言いました。

お祓いの人は言ったそうです。

申し訳ありませんでした。
我々の不手際です。
あの人形にはなにも取り憑いてはいませんでした。
いえ、確かに取り憑いていたのですが、どこかへ移ってしまったようなのです。

じいちゃんたちは震え上がりました。

だって、この状況だと、その『どこか』とやらは、自分たちの娘以外に考えられなかったからです。

でも、祓い屋の人たちは母さんを見て、首を横に振りました。

お嬢さんにはなにも取り憑いていません。

じゃあ一体どうなってるんだとじいちゃんが怒鳴ると、祓い屋さんたちは言いました。

おそらく、家そのものに取り憑いているんだと思います

それを聞いたじいちゃんたちは家のお祓いを彼らに頼みました。

彼らはそれを了承したのですが、暫くしてから、お断りの電話がかかってきました。

自分たちではどうにも出来ない。
おそらく、ほかの拝み屋に頼んでも同じだろう。
あの家にはもう帰らない方が良い。

じいちゃんは激怒しました。

だって、母さんが生まれる前の年に買ったばかりの新しい、念願の一戸建てだったんです。

そんな、はいそうですか、と手放すわけにはいきません。

ところが、じいちゃんたちはホテル住まいのまま、他の祓い屋に依頼したんですが、そこも駄目だというんです。

ほとほと困り果てて、これは本当に引っ越すしかないのかもしれないと思っていた時でした。

祓い屋が一人、じいちゃんたちの部屋を訪ねてきました。

なんでも、はじめに依頼した祓い屋と同じところからやってきた人で、もう一度、祓ってみると言うんです。

じいちゃんたちは正直、信用はしてなかったけれど、その人がどうしてもというので、やってもらうことにしました。

その日、じいちゃんたちの家で小火がありました。

幸い火はすぐに消し止められて家屋にも大した損傷は残りませんでしたし、隣家への被害もありませんでした。

でも、家のお祓いをかって出てきてくれた祓い屋は生きては戻りませんでした。

小火騒ぎに乗じて、家を調べた警察によって祓い屋の死体が発見されたんです。

そのことは何故か、地方新聞の隅っこにすら載りませんでした。

小火があったことは掲載されたのですが、死人が出たことが何処にも載っていなかったんです。

そして、祓い屋の死をじいちゃんたちに伝えたのも警察ではなく、死んだ祓い屋の仲間でした。

依頼の遂行を死人の代わりに伝えに来たんです。

もう 家に危険はありません
帰られて大丈夫ですよ

家で怪奇現象が起こっていた理由を彼らは話してくれました。

はじめはやはり、皐月だった。
皐月に取り付いたナニカははるばる海を渡り、母さんたちの家に辿り着き、その場所を気に入ってしまった。そこで家の今の主たるじいちゃんたち家族を家から追放して、自分のものにしたがっていたそうなんです。

彼らは一通り説明し終えると、じいちゃんにしがみついていた母さんの前に、一人の少女の写真を突きつけて、母さんにだけ聞こえる声で囁いたそうです。




俺の妹が 君の変わりに 死んだんだよ





あの祓い屋さんたちが兄弟であったことは、母さんにもすぐに理解できたそうです。

でも、自分たちの依頼のせいで、彼らが家族を亡くす羽目になったのだと、ちゃんと悟ったのは、それから数年経ってからのことだと母さんは言ってました。

ただ、あの耳に囁く声だけが、今も拭えない罪悪感として残ってるって、言ってました。

ええと、これで………」


終わる、最後の話が終わる。

怪が、現れる。


「オレの話はおしまいです」


しん、と空気が震えた。


皆が一様に耳をそばだてる。


ケータイの液晶の光を頼りに、暗闇に目を凝らす。


数秒の間が流れた後、誰かがプッと吹き出した。


次第に笑いが彼らの中に広がってゆく。


しまいには誰もが笑い転げていた。


「やっば!俺らマジになってんじゃん」

「あー、怖かったーほんとに怖かった!」

「三十六話しかしてねぇのに、現れるわけないし!」

「つか、篠宮、一番ビビってたくせになかなかヘビィな話、最後にしてんじゃねえよ」


その言葉に、篠宮が肩をすくめる。


「すみません、オレん中でこの話は怖いっていうより、悲しい話で……祓い屋の兄弟の悲しい話」


そう言って、何故か篠宮は礼太の方を見た。


しかし、礼太がその視線に気づくことはなかった。


隣にいた和田が、礼太の目の焦点があっていないことに気づく。


奥乃、と声をかけようとした時だった。


突然、チカチカと四方のケータイの画面が点滅し始めた。


蝋燭の代わりのケータイ結界。


それがまるで、許容を超えたダムのようにはち切れようとしていた。


だんだん、点滅が早くなってゆく。


暗闇の中、唯一の光であったケータイの異常に、皆気づかないわけにはいかなかった。


空気が、戻った。


笑いを頬に貼り付けたまま、顔が強張る。


その時だった。


礼太が、ゆらりと上体を動かして前かがみになった。

ずるずると耳障りな音を立てながら、前方に放り投げられた腕を胴体に引き戻す。

がくり、がくりと不自然な動きで、彼は立ち上がった。


無垢な瞳が、ぼんやりと少年たちの姿を映す。


桜色をした唇が、にぃ、と横に引かれた。


それは幼い童女の、満面の笑みに酷似していた。


そして、その表情は、中学生男子である礼太の口元に刻まれると、どこか歪でおぞましかった。


「………奥乃……?」


「礼太先輩……?」


不安げに囁く声が暗闇に響いた。


「おい、どうしたんだよ、奥乃」


和田はことさら明るく、からかうような口調で言った。


その声もどこか上ずっていた。


くるり、と壊れた造花の花弁のように礼太が首を曲げて和田の姿をその目に捉えた。


和田はごくり、と唾を呑んだ。


無垢なのに、底光りする夜の湖畔を思わせる冷たい瞳。


そこには、いつもの気弱げだけど優しい光はなかった。


礼太が何か言いたげに唇を動かす。


しかし、そこから発せられたのは、濁った空気音のような呻き声だけだった。


おかしい、礼太が変だ。


いつの間にか、四方のケータイの点滅は終わっていた。


完全に死んでしまったらしい。


それを目の端で確認する余裕がある自分に、和田を驚いた。


しかし


(やばい、腰が抜けてる)


立てない。


礼太が、年齢にそぐわない、無垢で、そして……残忍な笑みを浮かべた。


そして、腰が砕けて動けない和田の首に、ゆっくりと腕をまわした。