自分の部屋に戻ると、目の前に水彩画が見える。


奈帆子に貰った海の絵だ。


「……ただいま」


誰に言うでもなく呟いてみる。


狭い部屋の天井に、変声途中の微妙な高さの声が吸収される。


ガタリと音をたてて椅子にもたれかかった。


汗臭いシャツの胸元をぱたぱたさせてなんとか身体の火照りを逃がそうとするが、少しも足しにならない。


『暑そうだね、レイくん』


天から降ってきた楽しげな声に、思わず苦笑いする。


「うん、暑い。昼よかましだけど」


くすくすと笑う声はせいぜい小学校低学年の男の子のものだが、話す口調は大人びている。


『レイくんも早くこっちに来れば?そしたら暑いのも寒いのも感じなくてすむのに』


………反応しにくい冗談を言わないで欲しい。


「今日は機嫌良いね……隼人くん」


隼人の笑い声がくすり、とこの世ならざる場所から礼太の耳をくすぐる。


隼人が困ったことがあれば自分を呼べと言ったのは社交辞令ではなかったらしい。


まさかうちまでついて来るとは思わなかったけれど。


『うーん、そう?』


声は聞こえるが姿は見えない。


あの日は特別だったらしく、礼太にはやはり霊の類は見えない。


『じゃあ、僕はそろそろ行くよ。ママが心配だからね』


随分と慌ただしい幽霊である。


それか、妖霊もどき。


気まぐれに礼太の元には来るが、基本、辻家の守護霊であるというスタンスは変わらないらしい。


もう、徹底的に張り込んで守る必要はないが、母親が心配でおちおち成仏もできないと。


もっとも、聖が言うには、隼人はほかの霊のように、心残りがなくなれば成仏できるわけではないらしい。


そこが、妖霊もどきなる所以だ。


存在が強すぎる。


もしこのままこの世にとどまっていれば完全に妖霊となってしまうらしい。


「うん、またね」


言葉が届いたかは分からないが、返事はなかった。