あんなに気まずくなったのは、
初めてだった。
温厚な性格の誠とは、一度も喧嘩をしたことがなかった。
5歳年上の誠は、どんな時も美紗を優しい目で見てくれていた。
ーー今でも誠を愛しているのは、確かだけれど……
少しずつ、誠への愛が色褪せていくのを美紗は感じていた。
ヒカルは、居間のソファーに横になり、テレビのバラエティ番組を見ていた。
「ただいま…」
美紗はホッと安心して、肩からショルダーバッグを外す。
[今夜、話したいことがあるから、
必ず家にいて。12時迄には帰ってきて]
朝、メールで伝えておいたが、ヒカルのことだから、すっぽかされるかもしれないと思っていた。
ヒカルは視線はテレビのまま、帰ってきた美紗の顔を見ずに「おかえり」と言った。
久しぶりにまともにヒカルを見た気がする…と美紗は思った。
よく見ると、ヒカルはあご髭を少し生やしていた。
「あれ?美紗?」
ヒカルは美紗の顔を見ると、訝しげな顔をしてソファーに座り直した。
「なんでそんなに目が真っ赤なの?
痴漢にでも襲われたの?」
駅から自宅マンションまでの道のりを、
美紗は泣きながら歩いていた。
夜の闇で人とすれ違っても、少しうつむけば、気付かれないのをいいことに。

