その場から逃げるように飛び出したあたしは、辛うじて残っていた理性をかき集めて、残りの料理を運ぶことを放棄はしなかった。
それでも、苦しくて胸の中がざわめいて、さっきまであんなにあたしを励ましてくれたくちなしの香りすら、どこか頼りなげで危うく感じる。
…那月さん……あたし…
ちょっと前にした決心が、直ぐにぐらついてしまう自分に嫌気がさした。
那月さんの仕事の区切りが付くまでは、邪魔はしないと誓ったのに…
それでも何とか思い止まれたのは、やっぱりほのかに香るくちなしのお陰だったのかも知れない。
あたしがくちなしの香りをさせていただけで、香澄さんが苛立ったと言うことは、たぶんお揃いの香りを付ける事を、那月さんが良しとしなかったんだろう。
そんなやり取りが、過去にあったんじゃないかと、現実逃避さながらに目をつぶった。
那月さん………あたしに名前を呼ばれるのは、本当は嫌だったの?
「なぁ、花乃顔色悪すぎるんちゃう?またなんかされたん?」
明美ちゃんに心配されても、どうしても口が重くなってしまって、何でもないと微笑む事しか出来なかった。
そう言えば……那月さんを名前で呼ぶ人は限られている。
桜ちゃんが呼び捨てにしていた気がするのと、知花さまが『なっちゃん』って可愛く呼んでいたけれど…
他の人は、殆ど『如月さん。如月くん』って呼んでいたと思う。
それに意味があったなんて、知りもしなかった。
