花色の月


動かなきゃ、抵抗しなきゃ、って思うのに……
体が麻痺したみたいに動かない。

怖くて……声は出ないのに涙がこぼれた。

首筋を這う指先が気持ち悪い、耳に掛かる荒い息遣いに吐き気がする。



「やっぱりいいね、花乃のその顔そそられる」


いい加減にしてって言いたいのに、肝心な時に声が出ないなんて…

その時、襖越しに光さんの声がした。


「失礼します。温泉のご用意が出来ましたので、ご案内致します」


そんな打ち合わせはしていない。
でも、ガバッとあたしから小野先輩が離れた事に安堵した。

襖が開いて、温泉の案内を手短に言った光さんは、あたしを庇うようにして退出してくれる。

襖を閉める瞬間の小野先輩の目が、怖くて下を向いてしまった。


十分藤の間から離れた所で、光さんがずっと詰めていたかのように深呼吸をした。


「…ありがとうございます」


「あぁ、やっぱり行って正解だったんですね」


板場の人間の癖に、乱入してしましたと苦笑いを浮かべている。


「本当に…ありがとうございます……」


「あっ、お礼なら如月さんに言ってください。
若女将を助けてくれって電話があったんです。自分が間に合わないと困るからって」


「那月さん…が?」


「そうっすよ。ほら、やっぱり来た」


光さんが指差す方に目をやると、少々着流しが着崩れた那月さんが、荒い息で駆け寄ってきた。