花色の月


「知花様、お待ちしておりました。
花乃、ご案内して」


おばあ様に言われなければ、あたしはその場から動くことすら出来なかったと思う。

なんで分からなかったんだろう。
低くて響くこの声を忘れた訳では無かったのに…



「…ようこそいらっしゃいました。
ご案内させて頂きます」


やっと口に出した言葉は、事務的な決まった言葉で感情を出さないのには最適だった。



「じゃあ、お願いするかなぁ」



あたしに笑いかけるその瞳が、凍てつくように冷たいのは、たぶん気のせいじゃないはず…



「…どうぞ」



早く案内して、誰かに代わって貰いたい
そんな事ばかり考えながら歩く廊下は、いつもより長いような気がして、手のひらにじんわりと汗が滲んだ。



「いつ帰ってきたんだ?」


「…こないだです」



「そう、警戒心剥き出しにするなよ。
俺の事忘れちまったのかぁ?」




何言ってるんだろう、ほんとうに見ず知らずの人ならこんな態度は取らないよ?



「いえ」



「なら、俺の名字知らなかったな?」



図星だから何も言えない…

やっと桔梗の間に着いて、心底ほっとしたのを顔に出さないように気を付けながら、荷物を置いてお茶を煎れた。


いつもはスムーズに出来るのに、あたしを見る冷たい視線と、怪我のせいでどうしても手が震えてしまう。




「そんなに怯えなくても、取って食ったりはしねぇよ?それとも食って欲しいかぁ?」



「ご、ご冗談を…」