サンドイッチがなくなる頃には、時計は九時半になってしまっていた。
しかし、それに気付いたのは時間を気にするべき私ではなく、時間を気にせずに遊んで、帰る間際に駄々を捏ねる筈のひーだった。
もう少し遊んでいたいというのが、どこかにあったのかもしれないな。と私は思って、つい苦笑してしまう。
ひーはそんな私を不思議そうな顔で見て「時間だから、帰ろう?」と少し残念そうな声で言いながら、ベンチから立ち上がる。
私は「そうだね。」と一言返して立ち上がり、公園をあとにする。
流石にゴールデンウイークとはいえ、この時間になると、子供が走りまわっているのが少し目に付く。
これで、ひーが先程の様にひっつきもっつきして来なければ良いのだが、現実とは甘くないものだ。
子供はどこまで行っても子供。
私の周りでチョロチョロベタベタ。
「はぁ。」
今度はわざとではなく、純粋に溜息がもれてしまう。
しかし、それを聞いた当人は、何一つ気にする事なく、いつもの様に大はしゃぎ。
それは家が見えるようになるまで続き、私が終始恥ずかしい思いをしたのは、言うまでもない。
そして、はしゃぐのをやめた理由はというと、目の前にいる三人のお陰だろう。
「ひー愛してる~!」
「やあ、リアルレズビアン。今日も可愛いね。」
うん。絶対にカスと変態のお陰じゃない。
「さくちゃん、おはよう。」
そんなことを思いながら、私は唯一の常識人であるさくちゃんに挨拶する。
ひーはカスと変態から距離を取りつつ「さくちゃんおはよ~。」と私に続く。
「おはようございます。りんさん、ひーさん。すぐに片付けますので。」
さくちゃんはそう私達に返して、無言でカスと変態に『ビュッ』と見事なハイキックを見舞う。
「あぐっ!」
と二人して苦痛の声を上げて前のめりになった。
そして、普通なら二人揃ってさくちゃんに文句を言うのだろう。
しかし、片方は変態である。
「さく!お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはないぞ!」とカスは涙目でさくちゃんに訴えるが、変態はというと「ふふ。僕は知っているよ。君が暴力をふるうのは、好きな相手だけだと!」そう叫んだ。
「坂本君、五月蝿いです。」
それに対して雪女さながらの冷視線を飛ばしながらそう口にするさくちゃんを見てわかるのは、この変態をどれだけ嫌っているかである。
それに私は「あはは」と呆れた笑いを零して「ところで、連休早々どうしたの?」とさくちゃんに肝心なことを聞く。
するとさくちゃんは、坂本に飛ばしていた冷視線を微笑みで綺麗に塗り潰して「いえ、りんさんの顔を見るのも兼ねてひーさんの家に遊びに来たんですよ。昨日カス姉が死ぬだの泣くだの五月蝿くって。」と返してくれる。
もちろん、そのあと私の悪口を言おうとするカスに追い打ちを忘れずに。
「そっかぁ、ありがと。でももう時間なくて急がなきゃだから、またね。」と切り上げて、ひーに向き直り「行ってくるね」と口にする。
「うん、行ってらっしゃい。」
そう寂しそうに微笑むひー。
そんなひーに「お土産期待しときなさいよ~」と言って、私は背を向ける。
でも、つい後ろ髪を引かれて振り返りたくなる。
だけど「荷物持たずにどこ行くんだ~?あ、それともう帰ってくるなよ、クリントン。」というカスの言葉が耳に入り、
「荷物ならお父さんが持っていってくれてるの!あと、誰がクリントンだ!誰が!?」
そう声を上げて私は駅へと歩き始めた。
通りなれた入り組んだ小道。
見慣れたスイセンの花に、相変わらずに気だるげな猫。
空を見上げれば、大きく広がるコバルトブルーの空とそれに混じる真っ白な羽毛のような雲。
今日からゴールデンウィーク。
この街を離れて東京の彩お姉ちゃんのところにお出かけ。
「ひーと会えないのはちょっと寂しいかなぁ。」
などとぼやいていれば、小道を抜けて大通りの横道に出る。
ココまで来れば駅まで100mもない。
私は少し薄情かもしれない。
だって、ほんの今ひーと会えないことが寂しいと思ったにもかかわらず、心の中は浮き足立っている。
でも、彩お姉ちゃんとも久しぶりに会えるなぁ。昔は、十しか年も離れていなかったから、年の離れた姉妹の様だったのに、結局は大人で。今ではお金持ちさんの服の仕立て仕事でバリバリ稼いでるみたいだし。はやく大人になりたいなぁ。
そんな風に心の中で思いながら交差点に立つ。
交差点の向こう―駅の前で私に手を振っている人が見える。
お母さんだ。
この十六年間と少し、その優しい笑顔と暖かい眼差しで育ててくれた大好きなお母さん。
その隣では、そんなお母さんを恥ずかしそうに微笑むお父さん。
私が手を振り返すと、二人は何かを話し始めてしまう。
もちろん、夫婦喧嘩や何かの問題ごとではないと思う。
だって、あんなに嬉しそうに話しているんだもん。
そんな暗い話ではない。
信号が青になって、私は二人のほうに駆け出す。
その瞬間。
私の隣を真っ黒い影がぶわっと通り過ぎる。
私は「きゃっ」と声を上げ、ばっとその場に縮こまってしまう。
自分でも情けないくらいに。
そして、耳に聞こえた衝突音。
「ガンッガンッ」
と何度も車やガードレールなどにぶつかっている音だ。
そして最後に「ドゴォォォンッ」と一際大きな衝突音がして一気に静寂が世界を襲う。
私が顔を上げると、お母さんとお父さんが立っていた場所から少し離れた場所に、真っ赤な真っ赤な大きな線が引かれて、そのまま駅へと続いていた。
「え?なに?」
口から言葉が漏れた。
頭がくらくらする。
お腹がまるで燃える様で気持ちが悪い。
ぐいぐいと胸が締め付けられる。
「おかあさん?おとうさん?」
頭の中がぐちゃぐちゃ。
息が出来ないくらいに胸がもっとぎゅうぎゅうに締め付けられだす。
耳元で荒い息遣いが聞こえる。
何が起こったの?
何がどうなってるの?
わかってる。
でもわかりたくない。
ガタガタと震える体を無理矢理に起こし、駅へと一歩一歩近づいていく。
ふらふらと、いつ倒れてもおかしくない足取り。
それでも確かめないと。
それだけが、頭の中ではっきりとわかった。
だって。
この不安も。
この恐怖も。
この震えも。
それら全てが治まるのだから。
「おかあさんも。おとうさんも。轢かれてないはずなんだから。」
その希望だけを頼りに近づいていく。
そして、トラックと駅の間からはみ出しているぐったりとした手が見えた。
その瞬間、身体全体をまるでナイフでズタズタにされたような恐怖と痛みが込み上げて、身体が一気に冷たくなる。
目の前が暗くなっていく。
少しずつ。
少しずつ。
視界を蝕むように暗くなっていく。
遠くで、酷く荒れた息遣いが聞こえる。
そして、身体がふらりと揺れて、視界は真っ暗になった。
きっとこれは夢。
悪い夢に違いない。
起きたらいつものように、部屋にひーが忍び込んでて、私の寝顔を覗き見てるの。
それで『おはよう!ひーちゃんのモーニングコールだよぉ!』とか『ひーちゃんのおはようタ~イム!』とか言ってるの。
だって。
こんなこと。
ありえるわけ無いんだもん。
『ガタンガタンッ。ゴトンゴトンッ。』
不規則的ながらも、似たような音が連なる心地良い揺れ。
私はそんな揺れに起こされて、目を開ける。
「よかった。夢だった。」
そう口に出るが、どんな夢だったか思い出せない。
だけど、多分悪い夢だった。
私は四人掛けの席に座っていて、目の前にはお母さんとお父さんの姿はなく、荷物だけがぽつりと置かれている。
それは、まるでひとりぼっちになってしまった子供の様で、とても不安になってしまう。
席を立つと、奇妙に半開きな車両を繋ぐドアが目に入る。
何故か私は、一歩一歩ドアの方に足を進めていく。
そしてドアの目の前に立つと、隣の車両の中が見えた。
私が見たのは、その中で重なり合う様に倒れている、おかあさんとおとうさんの姿だった。
「いや。うそ、だよね?おかあさん?おとうさん?ねぇ?」
口から漏れる声は真冬に凍える声よりも震えている。
それでも、私は熱に侵された様に二人に近づいて行き手を伸ばして、恐る恐るおかあさんに触れた。
手にベトリとした赤黒い血がついて。
しかし、それに気付いたのは時間を気にするべき私ではなく、時間を気にせずに遊んで、帰る間際に駄々を捏ねる筈のひーだった。
もう少し遊んでいたいというのが、どこかにあったのかもしれないな。と私は思って、つい苦笑してしまう。
ひーはそんな私を不思議そうな顔で見て「時間だから、帰ろう?」と少し残念そうな声で言いながら、ベンチから立ち上がる。
私は「そうだね。」と一言返して立ち上がり、公園をあとにする。
流石にゴールデンウイークとはいえ、この時間になると、子供が走りまわっているのが少し目に付く。
これで、ひーが先程の様にひっつきもっつきして来なければ良いのだが、現実とは甘くないものだ。
子供はどこまで行っても子供。
私の周りでチョロチョロベタベタ。
「はぁ。」
今度はわざとではなく、純粋に溜息がもれてしまう。
しかし、それを聞いた当人は、何一つ気にする事なく、いつもの様に大はしゃぎ。
それは家が見えるようになるまで続き、私が終始恥ずかしい思いをしたのは、言うまでもない。
そして、はしゃぐのをやめた理由はというと、目の前にいる三人のお陰だろう。
「ひー愛してる~!」
「やあ、リアルレズビアン。今日も可愛いね。」
うん。絶対にカスと変態のお陰じゃない。
「さくちゃん、おはよう。」
そんなことを思いながら、私は唯一の常識人であるさくちゃんに挨拶する。
ひーはカスと変態から距離を取りつつ「さくちゃんおはよ~。」と私に続く。
「おはようございます。りんさん、ひーさん。すぐに片付けますので。」
さくちゃんはそう私達に返して、無言でカスと変態に『ビュッ』と見事なハイキックを見舞う。
「あぐっ!」
と二人して苦痛の声を上げて前のめりになった。
そして、普通なら二人揃ってさくちゃんに文句を言うのだろう。
しかし、片方は変態である。
「さく!お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはないぞ!」とカスは涙目でさくちゃんに訴えるが、変態はというと「ふふ。僕は知っているよ。君が暴力をふるうのは、好きな相手だけだと!」そう叫んだ。
「坂本君、五月蝿いです。」
それに対して雪女さながらの冷視線を飛ばしながらそう口にするさくちゃんを見てわかるのは、この変態をどれだけ嫌っているかである。
それに私は「あはは」と呆れた笑いを零して「ところで、連休早々どうしたの?」とさくちゃんに肝心なことを聞く。
するとさくちゃんは、坂本に飛ばしていた冷視線を微笑みで綺麗に塗り潰して「いえ、りんさんの顔を見るのも兼ねてひーさんの家に遊びに来たんですよ。昨日カス姉が死ぬだの泣くだの五月蝿くって。」と返してくれる。
もちろん、そのあと私の悪口を言おうとするカスに追い打ちを忘れずに。
「そっかぁ、ありがと。でももう時間なくて急がなきゃだから、またね。」と切り上げて、ひーに向き直り「行ってくるね」と口にする。
「うん、行ってらっしゃい。」
そう寂しそうに微笑むひー。
そんなひーに「お土産期待しときなさいよ~」と言って、私は背を向ける。
でも、つい後ろ髪を引かれて振り返りたくなる。
だけど「荷物持たずにどこ行くんだ~?あ、それともう帰ってくるなよ、クリントン。」というカスの言葉が耳に入り、
「荷物ならお父さんが持っていってくれてるの!あと、誰がクリントンだ!誰が!?」
そう声を上げて私は駅へと歩き始めた。
通りなれた入り組んだ小道。
見慣れたスイセンの花に、相変わらずに気だるげな猫。
空を見上げれば、大きく広がるコバルトブルーの空とそれに混じる真っ白な羽毛のような雲。
今日からゴールデンウィーク。
この街を離れて東京の彩お姉ちゃんのところにお出かけ。
「ひーと会えないのはちょっと寂しいかなぁ。」
などとぼやいていれば、小道を抜けて大通りの横道に出る。
ココまで来れば駅まで100mもない。
私は少し薄情かもしれない。
だって、ほんの今ひーと会えないことが寂しいと思ったにもかかわらず、心の中は浮き足立っている。
でも、彩お姉ちゃんとも久しぶりに会えるなぁ。昔は、十しか年も離れていなかったから、年の離れた姉妹の様だったのに、結局は大人で。今ではお金持ちさんの服の仕立て仕事でバリバリ稼いでるみたいだし。はやく大人になりたいなぁ。
そんな風に心の中で思いながら交差点に立つ。
交差点の向こう―駅の前で私に手を振っている人が見える。
お母さんだ。
この十六年間と少し、その優しい笑顔と暖かい眼差しで育ててくれた大好きなお母さん。
その隣では、そんなお母さんを恥ずかしそうに微笑むお父さん。
私が手を振り返すと、二人は何かを話し始めてしまう。
もちろん、夫婦喧嘩や何かの問題ごとではないと思う。
だって、あんなに嬉しそうに話しているんだもん。
そんな暗い話ではない。
信号が青になって、私は二人のほうに駆け出す。
その瞬間。
私の隣を真っ黒い影がぶわっと通り過ぎる。
私は「きゃっ」と声を上げ、ばっとその場に縮こまってしまう。
自分でも情けないくらいに。
そして、耳に聞こえた衝突音。
「ガンッガンッ」
と何度も車やガードレールなどにぶつかっている音だ。
そして最後に「ドゴォォォンッ」と一際大きな衝突音がして一気に静寂が世界を襲う。
私が顔を上げると、お母さんとお父さんが立っていた場所から少し離れた場所に、真っ赤な真っ赤な大きな線が引かれて、そのまま駅へと続いていた。
「え?なに?」
口から言葉が漏れた。
頭がくらくらする。
お腹がまるで燃える様で気持ちが悪い。
ぐいぐいと胸が締め付けられる。
「おかあさん?おとうさん?」
頭の中がぐちゃぐちゃ。
息が出来ないくらいに胸がもっとぎゅうぎゅうに締め付けられだす。
耳元で荒い息遣いが聞こえる。
何が起こったの?
何がどうなってるの?
わかってる。
でもわかりたくない。
ガタガタと震える体を無理矢理に起こし、駅へと一歩一歩近づいていく。
ふらふらと、いつ倒れてもおかしくない足取り。
それでも確かめないと。
それだけが、頭の中ではっきりとわかった。
だって。
この不安も。
この恐怖も。
この震えも。
それら全てが治まるのだから。
「おかあさんも。おとうさんも。轢かれてないはずなんだから。」
その希望だけを頼りに近づいていく。
そして、トラックと駅の間からはみ出しているぐったりとした手が見えた。
その瞬間、身体全体をまるでナイフでズタズタにされたような恐怖と痛みが込み上げて、身体が一気に冷たくなる。
目の前が暗くなっていく。
少しずつ。
少しずつ。
視界を蝕むように暗くなっていく。
遠くで、酷く荒れた息遣いが聞こえる。
そして、身体がふらりと揺れて、視界は真っ暗になった。
きっとこれは夢。
悪い夢に違いない。
起きたらいつものように、部屋にひーが忍び込んでて、私の寝顔を覗き見てるの。
それで『おはよう!ひーちゃんのモーニングコールだよぉ!』とか『ひーちゃんのおはようタ~イム!』とか言ってるの。
だって。
こんなこと。
ありえるわけ無いんだもん。
『ガタンガタンッ。ゴトンゴトンッ。』
不規則的ながらも、似たような音が連なる心地良い揺れ。
私はそんな揺れに起こされて、目を開ける。
「よかった。夢だった。」
そう口に出るが、どんな夢だったか思い出せない。
だけど、多分悪い夢だった。
私は四人掛けの席に座っていて、目の前にはお母さんとお父さんの姿はなく、荷物だけがぽつりと置かれている。
それは、まるでひとりぼっちになってしまった子供の様で、とても不安になってしまう。
席を立つと、奇妙に半開きな車両を繋ぐドアが目に入る。
何故か私は、一歩一歩ドアの方に足を進めていく。
そしてドアの目の前に立つと、隣の車両の中が見えた。
私が見たのは、その中で重なり合う様に倒れている、おかあさんとおとうさんの姿だった。
「いや。うそ、だよね?おかあさん?おとうさん?ねぇ?」
口から漏れる声は真冬に凍える声よりも震えている。
それでも、私は熱に侵された様に二人に近づいて行き手を伸ばして、恐る恐るおかあさんに触れた。
手にベトリとした赤黒い血がついて。
