「RIRIRIRIRIN!」という耳を団子の串で突き刺すような大独唱が、次の日、私をしっかりと朝の六時半に襲った。
 私は眠気眼を擦りながらも、その目覚ましの頭頂部にあるボタンを『コンッ』と叩く。
 すると、今迄の大独唱は蝋燭の火でも吹き消したかのように止み、朝の小鳥のさえずりが窓の外からオルゴールのように鳴り始める。
 起き上がって窓を開ければ、昨日と良く似た朝の清々しさが部屋を包み、今日と言う日が来たことを教えてくれる。
 天気は快晴。と言うには少し雲があるけれども、晴れと言うには雲が少なすぎる空。
 伸びを一つして、私はせかせかと昨日の夜に準備した荷物の中身をチェックしていく。
 4日分の着替えに携帯の充電器とクシや化粧品関連。
 叔母である彩お姉ちゃんの家に泊まりに行くだけなので、どこかに旅行へ行くのと違って荷物が少なくて助かる。もしどこかへ旅行に行くのであれば、もっと色々なものが必要になって、私の旅行用バッグ1つでは足りなくなってしまう。
 荷物の確認を終えると、私は出掛け用の洋服をクローゼットから取り出し、パジャマからそれに着替える。
 姿鏡の前に立ち、格好を確認、いつも通りなセミショートな髪、モカブラウンの薄手のチェニック、それを包む紫のトッパーカーディガン、黒のカットソースリムパンツ。
 そして、相変わらずに高校生としてあまりにもない胸の上にある、小さな鳥籠の中でシトリンが揺れているアクセサリー。
 うん。胸以外は問題なし。
 私は泣きたい思いを胸に、部屋を後にし、階段を迷いもなく駆け降りて、そのまま洗面所に入り、顔を水で洗って鏡に映る自分を見る。
 いつもと変わらぬ自分がそこに居る。
 それを確認すると、私は洗面所を飛び出し、リビングへの扉を押し倒すかのように開いて「おはよ!」と元気に私はそこに居るべき二人に声をかける。
「あら、りんちゃんおはよう。朝ごはんはサンドイッチにしたから、ひーちゃんのところに持っていって一緒に食べなさい。」
 お母さんが支度しながら私に笑いかけてくれる。
 それに続けてお父さんが「はやくひー君のところに行ってあげなさい。荷物はお父さんが持っていっておくから、楽しんでおいで」と笑顔で見送りの言葉をくれる。
「うん。ありがと。」
 そう私は二人に感謝を籠めて笑い返して、テーブルに置いてあるランチボックスを手に取る。
 そして「じゃあ、あとで駅でね。」と笑って「いってきます!」と元気よく言う。
「ええ、あとでね。いってらっしゃい」という優しいお母さんの言葉と「気をつけて行くんだぞ」という優しいお父さんの言葉を背に聴きながら、私はリビングをあとにし、玄関で靴を穿く。
「母さん、俺のシャツ知らないか?」というお父さんの声が聞こえ、「はい。シャツ。」という仕方なさそうながらも、優しいお母さんとのやりとりがリビングから聞こえてくる。
 本当にお父さんとお母さんは仲が良い。
 私はそれをとても嬉しく思う。
 だって。
 この二人の娘だからこそ私は幸福なのだから。
「いってきます!」と声を張り上げてもう一度言って、私は玄関のドアを勢いよく開いた。
 しかし、扉は何故か途中で止まり『ゴン!』というあまりにも痛そうな擬音と一緒になってしまう。
「たぁ~っ。」という可愛らしくも苦痛がひしひしと伝わってくる呻き声が聞こえ、私は止まってしまったドアの隙間から『そろりそろり』と、ちょこっとだけ顔を出して、外に居るであろう女の子の様子を伺う。
 そして案の定そこに居るひーは、しゃがみ込んで両手で額を押さえ込んでいる。
「ご、ごめんね。ひー。」
 そう私はすまなさそうに謝るが、ひーはというと両手をそのままに顔を『ぶんっ』と上げ、私を涙目で睨んで、目だけで痛いと伝えてくる。
 本人は気付いていないのだろうけど、その仕草はあまりにも子供地味ていて、とても可愛い。
 私は緩む顔を直し、ドアの隙間から外に出て「ゴメンゴメン」と言いながらひーの頭を撫でてやる。
 それに対してひーは、恨めしそうな顔の中に嬉しい時に見せる目を隠して、私に「痛かった」とボソリと言う。
まったく。仕方ないなぁ。
 そう心の中で微笑んで「お土産いっぱい買ってきてあげるから、許して。」とひーにお願いする。
「うん。許してあげる。でもお土産じゃなくて、今から十時半まで、みっちり私と遊ぶこと!それで許してあげる。」
「はいはい。」
そう私はひーの意外な言葉に笑いながらに返し「はい。」とひーに手を差し延べた。
 ひーは右手を額から離して私の手を掴み、私はひーを引っ張って立たせてあげる。
「それじゃ、公園にでもいこっか。」
 そう私が笑うと、ひーは「うん。」と笑い返してくれた。
 いつもの駅への近道を通り過ぎ、私たちが住む住宅街の一画にある公園に向かう。
 民家の長い長い行列は、たまに大きな蟻の群れに見えてしまう。
 そんなことを思っている私はおかしいのだろうか?
 そう思ってついひーに聞いてみたくなるが、私はその衝動を無理矢理に心の物置に押し込んで「今日もいい天気だね。」とひーに何気ない言葉を投げる。
 ひーは猫みたいに私にもたれ掛かってきて「そうだねぇ。」と日溜まりの中で気持ち良さそうに言う。
 私はそんなひーにドキリとするが、今日はゴールデンウイーク初日。
 時間はもう8時半を回っているが、住宅街の道なりには出勤中のサラリーマンも、学校に遅刻しそうな為に駆けていく学生も、まるで宇宙人に連れさらわれたかの様に、その姿を見ることはない。
 でも、恥ずかしいものはやはり恥ずかしいわけで「ひー。恥ずかしい。」とボソリと口にした。
 だけどひーは「えへへー」と笑うだけで、私の抗議の言葉を真っ向から無視する。
 そんなひーに「ふぅ。」という溜息が一つ漏れたが、嫌悪感はなかった。
 しかし、戯れているとやはり時間というものはあっという間なものだ。
 気がつけばもう公園の前で「やっとついたー!」そうひーが大きな声を上げて、まるで子供のように、いや、もはや大きな子供がはしゃいでいる。
 私はそんなひーを見て、くすりと笑い「でも、私たちもう大きいんだから、ここの遊具は遊べないと思うけど?」とツッコミを入れる。
「でも、公園に行こうって言ったのはりんだよぉ?」
 そう大笑いに返され、私は一本取られたという顔で「あ。」と声を漏らした。
 とはいえ、遊具で遊べない公園でどうしようか?
 そう私が頭を悩ませていると、ひーは私の腕を引っ張って、公園の入り口近くのベンチに腰掛ける。
 私も腰掛けようと体を屈めるが、体は一瞬宙を舞い、私は驚いて手に持っていたランチボックスを手放してしまう。
 そして私の体は落ちていった。
 落ちた先はというと、私を引っ張って宙に浮かせた張本人―ひーの腕の中である。
「はぁ~。」と私はわざとらしく溜息を吐き「放して」とひーに冷視線を飛ばしながらに言うが「え~?なに~?き~こ~え~な~い~?」と私の溜息に対抗してか、わざとらしくそう返してきた。
「まったく、もういい。」
 私は諦めの言葉を吐き、されるがままになることにする。
「な~んのことだか~。」
 ひーは笑いながらにそう言って視線を公園の遊具に向けた。
 そして、少しだけ懐かしそうな顔をする。
 私はひーがそんな顔を出来ることに少し驚きを感じたが、よく考えたらここに来るのは本当に久しぶりだった。
 小学生の頃は、よくここで遊んでいたものだ。
 ぶらんこに、シーソーに、鉄棒に、すべり台。
 そのどれもが、あんなに大きかったのに、今では本当に小さく見える。
「三年ぶりだっけ?」
 と私が『ふっ』と口からその月日を漏らすと「二年と十ヶ月と19日。」そうひーが正確な月日を教えてくれる。
「ぶらんこ。ちっちゃくなっちゃったね。」
「私達が大きくなったんだよぉ。」
 私が懐かしみながらに呟いた言葉にひーは笑い混じりに返してくる。
 わかっていることをそんな風に言われた私は、もちろんそれに腹が立ち「そんなことわかってる。」そう刺のある言葉で返してしまう。
 でもひーは「あはは」とニッコリ笑顔で私の顔を微笑みに変えてくれる。
 本当にこの笑顔には敵わないなぁ。
 私はそんなことを思いながらも、つい意地悪を思いついてしまう。
「ねぇ、ひー?お母さんがサンドイッチ作ってくれたんだけど、食べない?」
 するとその言葉にひーは、笑顔をさらにピカピカと輝かせる。
 それはまさに小学生顔負けの笑顔だ。
 そしてもちろん返答は「食べる食べるー!」という嬉しさ百倍な言葉だった。
 私はそんなひーにくすりと笑い、ランチボックスの場所を指で指し示してあげる。
 すると、小学生顔負けの嬉しさ百倍な笑顔は、アイスクリームを落として、泣きに伏している子供のそれで、私はつい吹き出して笑ってしまう。
 ランチボックスはかろうじて中身が飛び出ていないものの、それは何度も何度も転がったことがわかるくらいに可哀相な状態であった。
 私は、仕方ないなぁ。と思いながらひーの手を解いて、ランチボックスの前まで歩いていく。
 そして可哀相なランチボックスを拾い上げて、蓋を開ける。
 いくつかは型崩れしてしまっているが、十分食べられる状態だ。
 私はひーに振り返って「型崩れしちゃったのはひーが担当ね」と笑った。
「りんのいじわる。」
 涙色の顔でひーは私に文句を言うが、私はそれを気にせずひーの隣に座って「はい。」と型の崩れていないサンドイッチをひーにあげる。
 ひーは「ありがと」と短く笑って、サンドイッチを受け取る。
 私は型崩れしたサンドイッチを取り出し、二人で「いただきます」と言って、ひーはかぶり付く様に食べ始めた。
 それを横目に私もかぶり付いてみたが、どうにも上手く行かず、結局いつも通りにちまちまとサンドイッチをかじる。
「おいしい~」とがつがつ食べるひーに私は「おいしいね。」と微笑んだ。