翼にはみんなが絶品だと言うコーヒーの味が解らなかった。


翼にとっては、真っ黒の苦い飲み物だったのだ。


そう……
子供の頃翼が飲まされたコーヒーはブラックだった。
それも苦味を最高のレベルにブレンドした孝のオリジナルだったのだ。




 その時翔の存在を背後に感じた。

翔は居間で眠っていた薫を揺り起こし、二階へ上がって来たようだ。


「親父! いい加減にしろよ!」

ベッドで眠っている陽子を見て、翔は逃げるように部屋に入った。


でも翔はこのことが気掛かりだったのだろう。

再びドアを開け、みんなの様子を見ていた。


薫は目を擦りながら寝室へ入って来た。


陽子の下着姿を目にした瞬間、薫は目を剥いた。


「これで分かったわ。私の時も同じことをしたのね!」

薫は狂ったよに孝の胸を叩いた。


「えっ!」

翼は意外な薫の言葉に耳を疑った。

その言葉がどんな意味を持つのか、見当もつかない翼だった。


翼と陽子が結婚する前に、抑えきれない感情をぶつけようとした孝。
薫はきっとこのような修羅場を幾度も体験してきたのではないだろうか?


翼は今改めて、陽子を守り抜くことを誓っていた。




 孝の仕組んだ睡眠薬入りコーヒーのこと。

薫は、孝がこんな行動に出たのは、陽子に隙があったと考えていた。


『コイツの目が俺を誘ったんだ』

そんな孝の言い訳を、事実だったかも知れないと思っていたのだった。


自分より眠りの深い陽子。

それこそ証拠だと思ったようだった。


陽子の隙……
それは翼を愛したため。
翼と孝の仲をこじらせたくなかったため。


だから……
コーヒーを飲み干してしまったのだ。




 浮気に悩まされながらも愛し続ける薫。


それが疎ましいのか、また浮気を繰り返す孝。
勝だけには知られたくない秘密が日高家には充満していた。

とても、結婚式のことなど言い出せる雰囲気ではなかったのだ。


薫が陽子と翼の結婚を承知したのは、孝に陽子を諦めさせるためだった。

放っておけば、何をしでかすか解らない孝。

その防御策だったのだ。


陽子のせいではないと解っていながら、誰かを悪者に仕立てたい薫。
それ程までに孝を愛し続ける執念。
翼は薫に空恐ろしさを感じていた。