秩父市上町にある小さな神社。
その脇の道を自転車を転がして一人の青年が登って行く。


日高翼(ひだかつばさ)十八歳。
市内の高等学校に通っている三年生で、常にトップクラスの優等生だ。
彼はその道の突き当たりの場所に良く行く。
本人は秘密基地だと言っているが、本当は誰の土地だか解らない。
それでも其処へ行っては電車を眺めていた。
穏やかで誰にでも優しい彼。
でもその心は固く閉ざされていた。




 ことある毎に翼の双子の兄である翔(しょう)の自慢話をしていた母親の薫。
翔は薫に溺愛されて育った。
一方翼は、何かにつけて目の敵にされた。
何故なのか翼も知らない。
思い当たることが全くないのに、何時も卑下されていた。


誉められたくて一生懸命に勉強した。
でも、兄より上の点数を取って反って叱られる。
それでも手抜きは出来なかったのだ。


だけど彼は母の喜ぶ姿を見たくてワザと間違える。
プライドとかどうでも良かった。
彼はそれほど、母を愛していた。
どんなに卑下され邪険に扱われようとしても、心底愛していたのだった。




 薫はヘアスタイルが命のような人だった。
耳の形が気にいらないようで、前髪を長く伸ばして隠していた。
以前はインディアンスタイルのように、前髪で覆って後ろに束ねていた。
今は前下がりボブ。
翼と翔が高校に入学した頃だった。
アナウンサーのヘアースタイルを見てすぐに真似をしていた。




 それ以前の薫は、翼が朝幾ら早く起きてもキチンとお化粧をしていた。
シミやソバカスを隠すためとか言って、コンシーラーを欠かさなかった。


でも髪型を変えた事もあって、ナチュラルメイクに変わっていた。
それでも相変わらず、シミ隠しだと称してのコンシーラーだけは欠かせなかった。




 翼と翔の父親の孝はそんな薫を暖かく見守ってはいた。
しかし孝は可愛い女性に目がない人で、何時も薫を困らせていた。
孝は自らインストラクターをしているテニススクールと、隣接しているカフェを経営していた。
全ては趣味であるテニスと珈琲を極め、可愛らしい女性との出逢いの場とするために。




 翼には解っていた。
自分に対する憎悪は、孝が構ってくれないジレンマ故だと言うことを。


だから翼は母を許せるのだ。
どんなに辛く当たられても、心の底から憎めないのだった。