以下、赤穂浪士概念。

元禄十四年三月十四日。
午前九時。
江戸城の松の廊下は、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかり騒然となった。


「このあいだの遺恨覚えたるか!」
と叫びながら刃傷に及んだと聞きます。


その遺恨がいかなる物なのかは張本人のみ知ること。

一説には、吉良上野介義央に公邸からの勅使の件で悪戯されたとか。
でもこの勅使をもてなすことは既に経験済みだったはずなのだ。

その遺恨がどのようなものかは知りませんが、そのために国元が悲劇に見舞われたことだけは確かのようです。


その上五代将軍綱吉がが喧嘩両成敗にしなかったことが引き金になり、後に盛大な仇討ち事件に発展して行ったのだった。