彼女が好きだと言ったその本は…———。
主人公の男がひとりの愛する女性と
駆け落ちをして、自分たちのことなど
誰も知らない土地で幸せに暮らしていく
ありふれた日常を描いたものだった。
でも。
それは全部嘘だった。
それは全部夢だった。
それは全部幻だった。
『僕は今、幸せすぎで時々こう思う』
『まるで、夢のようだ———…ってね』
この言葉が合図。
『“夢のようだ”なんて、使っちゃダメよ』
『どうして?』
『だって、夢だと気づいてしまったら
覚めてしまうじゃない。これが夢だって』
男が愛する女性と一緒に過ごした時間は
すべて夢だった。
閉じた瞳を開けた男の眸に映ったのは
何も持たない、何も掴んでなどいない
己の手だった。
愛する女性は自分を裏切って別の男性と
結ばれていた。
男には、最初から何もなかったのだ。
最初から愛などなかったのだ。
男は恐怖心からか眠ることをしなくなり、最期は気が狂ったように死を迎える。
————…そんな物語。

