落ち込むジルデガルドの背を叩いて、ナレッズは笑った。

「いいじゃないか、ジル」

「お前が俺に追い打ちかけてるんだよ! さっきから!」

 折角アークって呼ばれようとしてたのに――深々と溜息を吐いた彼は、その場に倒れ伏さんばかりの勢いで項垂れる。

 彼の名前であるところのメイティアークレイというのは、この世界では縁起のいい言葉の羅列だそうである。両親の思いがあらぬ方向に空回りして、一時的とはいえ、彼に改名の決意を固めさせたらしい。

「でも、本当、どっかの話で見たことある感じだな。ジュゲムジュゲムゴコーノスリキレ――ってさ」

「何ですか、それ」

「どっかの次元漂流者が、俺らの世界に持ち込んできた本にあったんだってよ。すっげえ長い名前の男の子が、名前の長さで水死するって言う」

「どういう文脈でそうなったのか、俺には想像出来ないよ」

 ナレッズの呟きも尤もである。とはいえ、リヒト自身も内容を覚えているわけではない。幼い頃、誰が一番最初に暗唱できるかと競ったことで、辛うじて名前を思い出せる程度だ。

「まあ、でも、そうですね。俺の名前では水死しないですし、それよりはましですね」

「架空よりまし、な」

「これ以上抉るのやめてくれます? リヒトさん」

 低く呻いた傷心の騎士に軽い謝罪の言葉を発して、赤茶の髪の青年は苦笑する。一生付き合う名前がこれでは、確かに嘆きたくもなるだろう。

 いい加減に諦めればいいのにと先程から言っていたナレッズも、それは恐らく承知の上である。普通がいかに眩しいかというのは、ここに来てから幾度か思い知らされているが、全次元世界共通の悩みは名前くらいであろう。

 憂鬱の溜息をしきりに吐いていたジルデガルドが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

「そういえば、リヒトさん、ナレッズと同い年でしたっけ」

 否定するようなことでもない事実である。頷いた彼に、そうでしたかと笑って、彼は続けた。

「俺の方が三つ上ですね。言っても、俺はオルダリエと同期なんですけど」

「入ったの遅かったのか」

「そうですね。地方からでしたし、自警団に入る気満々だったんで。色々心境の変化があって、決意したのが十五って感じでした」

「じゃ、騎士歴は八年っつうこと?」

「五年目ですよ。三年間は、十二になったら入れる騎士養成校で缶詰です。魔術、武術、座学――成績上位者の、ええと、何人だっけ、オルダリエ」

 五十人だよと返答があった。

「その中の上位十五人が、中央の王族親衛騎士団になれるんだ。その他は地方の、只の騎士団に配属される」

「マジかよ。お前ら凄いのな」

「ちなみにオルダリエは座学と魔術で主席ですよ。俺も超頑張りました。どうしても親衛に来たかったんですけど、見ての通り、座学が苦手なんで」

 胸を張ったジルデガルドは、小柄な騎士に強く背を叩かれ、前のめりに転びかけた。

 彼を叩いた方は、大きな青い目を不機嫌に細めている。

「頑張ったのは俺の方だろ。あんなに分からないと思ってなかった」

 どうやら学生時代からの付き合いのようだ。悪かったと目線を合わせるように体を屈める彼に、再度手が振り下ろされる。

「そんなに俺を馬鹿にしたいってことだね、それは」

「違うっつうの。目線合わせるのに一苦労で」

「馬鹿にしてるだろ! この体格のおかげで、危うく地方に飛ばされかけたんだぞ!」

 確かに騎士向きではない。その考えが口に出ていたらしく、今度は視線がリヒトに向いた。

 手を合わせて肩を竦めると、彼は軽く息を吐いて手を振った。気にするなということらしい。

「何かリヒトさんに甘くね」

「当たり前だろ。君とは違うんだから」

 腕を組んだナレッズに、そうだけどとむくれる彼は、到底自分より年上だとは思えない。思わず噴き出してから、何か言われる前に手を合わせた。

「ま、いいですけど。明日はリヒトさんの実力見られますし」

 その言葉を受けて、不思議そうに首を傾げたリヒトを見て、ジルデガルドも小首を傾げた。

「あれ、聞いてませんでした? 明日の入団試験、俺が試験官やることになったんです」

「マジか。ああ、でもジルなら安心だな。明日もよろしく」

 こっちこそよろしくお願いします――へらりと崩れた表情に、リヒトも笑みで応えた。