屯所の中というのは、想像より広い。
何十人もの騎士を収容し、日常生活に支障が出ないよう備えてあるだけあって、城の中ほど絢爛なわけではないにしろ、リヒトの思ったほど狭い場所ではなかった。
それでも男騎士は雑魚寝のようで、広さの割に部屋数は少ない。廊下の先には女騎士の部屋があるようだったが、そちらにはベッドが備え付けてあるとのことである。代わりに一部屋が狭いという。
幾つかの部屋の先に、木の札のかかった扉があった。
「団長室って読むんだ。喋ってるときは無意識にでも魔力を乗せてるから言葉も通じるけど、こう書かれると読めないよね」
言いながらノックをする背を見てから、札を見る。
ナレッズの言う単語は認識できそうになかった。
「失礼します。オルダリエです。リヒトさん、どうぞ」
支えられた扉の先に足を進め、彼は面食らう。
年の頃は四十半ばだろうか。
大型の椅子に狭苦しそうに腰かける、大柄な男性である。硬質の短い黒髪が与える鋭さとは裏腹に、どこか鷹揚で柔和な雰囲気を持つ藍色の瞳がリヒトを捉えた。
男は徐に立ち上がる。団長としての威厳に一役買っているのであろう無駄のない体つきもさることながら、背丈の高い部類に入るであろうリヒトでさえ見上げるほどの長身が圧迫感をも感じさせた。
当然のことながら、臆することもなくナレッズが近づいていく。
不思議な生物でも見ているような気分で、赤茶の青年も後に続いた。自分の体を鍛えぬく者というと、ボディビルダーしか知らなかった彼にとっては、これだけの筋肉を仕事で身に着けるというのはにわかに信じがたい。
「お呼び立て致しまして、誠に申し訳ございません」
「ああ、いえ、大丈夫です」
腰を折り曲げて尚、漂う余裕は消えない。
「王国騎士団の団長を務めております、オルフェイン・アッズガルドと申します。以後、お見知りおきを」
言った男――オルフェインに名乗りながら、リヒトはどうにもぬぐえない違和感の正体を掴んだような気がした。
気品というよりは野蛮を思わせる外見に対する先入観のおかげで、その丁寧な言葉遣いが粘つく不自然さを放っているのだ。
ナレッズと変わらない騎士服に近衛兵の青いマントを羽織ったオルフェインは、明朗な表情で顔を上げた。
「――とまあ、堅苦しい挨拶はここまでにしよう。我らが英雄候補に不得手を強要ってのは、俺の趣味じゃない」
心の底で胸を撫でおろしたリヒトを前に、騎士団長は金髪の部下に向き直って続ける。
「エルメロッテも、どうせ俺の話をするなら、いるときにして欲しかったもんだが――あいつはあれで短気だからなあ。どうせ待ってられなかったんだろう」
「ええ。あの後、仰っていました。団長が来るまで待っていたら夜が明けると」
「交代時間くらい知ってるだろうに」
肩を竦めてから、彼は眉尻を下げて苦笑した。
藍色の精悍な眼差しを緑の目と合わせて、彼は言う。
「さて、今日は顔見世ついでに伝えておきたいことがある」
「それは俺の身の置き場とか――」
「鋭いじゃないか。この国も、これだけ平和で緩いとはいえ規則があるからな。特に次元漂流者にかけては厳しすぎてやってられん。騎士団に所属しなきゃ城下に出るにも許可がいるってな寸法でよ」
曰く、許可の手続きには非常に手間がかかるのだそうだ。
書類にはこちらの言語で文字を記し、請願の理由も明記しなくてはならない。受理にも当然ながら時間がかかる。
三分の買い物に三日かかる――と言われるほど、厳重な庇護とも束縛ともつかない規則があるそうだ。
ふと、ナレッズがリヒトの方を見た。
「次元漂流者――は、知ってる?」
「いや、流石に知ってる。次元転移魔術で移動して別の世界で暮らす人ら、だよな」
伝説の域の魔力を使いこなすため、絶対数は少ないながらも、彼らは確実に存在している。大半は人とは違う種族であるが――少なからず、人間の中にも次元漂流者と銘打たれる者はいるのである。
よもや自分がその当事者にはなるまいと思っていたリヒトだったが、そのような状況下におかれてしまっては仕様もない。
「それだけの魔力は無暗に使われると困るわけだ。だから漂流者は騎士団に所属してもらって、こっちの規則に従ってもらうことになってる」
「勿論、君は客人の立場だし、強制はできないんだけど――悪い話ではないと思うよ。護衛さえつければ城下にも自由に出してもらえるし」
騎士団に入らねば外出の自由もないということである。彼の答えは決まっていた。
「よろしくお願いします」
「よし、決まったな」
頭を下げた彼に満足げな笑みを向けて、オルフェインが豪快に自分の膝を叩く。
「一応、形式的な入団テストがあるんだが、まあ、武器の適性検査くらいに思ってくれ。日にちは追って連絡する」
「了解しました!」
「それじゃあ、オルダリエ。城下案内を頼んだぞ」
「仰せのままに」
一礼をした金の騎士が、晴れやかに声を上げた。
何十人もの騎士を収容し、日常生活に支障が出ないよう備えてあるだけあって、城の中ほど絢爛なわけではないにしろ、リヒトの思ったほど狭い場所ではなかった。
それでも男騎士は雑魚寝のようで、広さの割に部屋数は少ない。廊下の先には女騎士の部屋があるようだったが、そちらにはベッドが備え付けてあるとのことである。代わりに一部屋が狭いという。
幾つかの部屋の先に、木の札のかかった扉があった。
「団長室って読むんだ。喋ってるときは無意識にでも魔力を乗せてるから言葉も通じるけど、こう書かれると読めないよね」
言いながらノックをする背を見てから、札を見る。
ナレッズの言う単語は認識できそうになかった。
「失礼します。オルダリエです。リヒトさん、どうぞ」
支えられた扉の先に足を進め、彼は面食らう。
年の頃は四十半ばだろうか。
大型の椅子に狭苦しそうに腰かける、大柄な男性である。硬質の短い黒髪が与える鋭さとは裏腹に、どこか鷹揚で柔和な雰囲気を持つ藍色の瞳がリヒトを捉えた。
男は徐に立ち上がる。団長としての威厳に一役買っているのであろう無駄のない体つきもさることながら、背丈の高い部類に入るであろうリヒトでさえ見上げるほどの長身が圧迫感をも感じさせた。
当然のことながら、臆することもなくナレッズが近づいていく。
不思議な生物でも見ているような気分で、赤茶の青年も後に続いた。自分の体を鍛えぬく者というと、ボディビルダーしか知らなかった彼にとっては、これだけの筋肉を仕事で身に着けるというのはにわかに信じがたい。
「お呼び立て致しまして、誠に申し訳ございません」
「ああ、いえ、大丈夫です」
腰を折り曲げて尚、漂う余裕は消えない。
「王国騎士団の団長を務めております、オルフェイン・アッズガルドと申します。以後、お見知りおきを」
言った男――オルフェインに名乗りながら、リヒトはどうにもぬぐえない違和感の正体を掴んだような気がした。
気品というよりは野蛮を思わせる外見に対する先入観のおかげで、その丁寧な言葉遣いが粘つく不自然さを放っているのだ。
ナレッズと変わらない騎士服に近衛兵の青いマントを羽織ったオルフェインは、明朗な表情で顔を上げた。
「――とまあ、堅苦しい挨拶はここまでにしよう。我らが英雄候補に不得手を強要ってのは、俺の趣味じゃない」
心の底で胸を撫でおろしたリヒトを前に、騎士団長は金髪の部下に向き直って続ける。
「エルメロッテも、どうせ俺の話をするなら、いるときにして欲しかったもんだが――あいつはあれで短気だからなあ。どうせ待ってられなかったんだろう」
「ええ。あの後、仰っていました。団長が来るまで待っていたら夜が明けると」
「交代時間くらい知ってるだろうに」
肩を竦めてから、彼は眉尻を下げて苦笑した。
藍色の精悍な眼差しを緑の目と合わせて、彼は言う。
「さて、今日は顔見世ついでに伝えておきたいことがある」
「それは俺の身の置き場とか――」
「鋭いじゃないか。この国も、これだけ平和で緩いとはいえ規則があるからな。特に次元漂流者にかけては厳しすぎてやってられん。騎士団に所属しなきゃ城下に出るにも許可がいるってな寸法でよ」
曰く、許可の手続きには非常に手間がかかるのだそうだ。
書類にはこちらの言語で文字を記し、請願の理由も明記しなくてはならない。受理にも当然ながら時間がかかる。
三分の買い物に三日かかる――と言われるほど、厳重な庇護とも束縛ともつかない規則があるそうだ。
ふと、ナレッズがリヒトの方を見た。
「次元漂流者――は、知ってる?」
「いや、流石に知ってる。次元転移魔術で移動して別の世界で暮らす人ら、だよな」
伝説の域の魔力を使いこなすため、絶対数は少ないながらも、彼らは確実に存在している。大半は人とは違う種族であるが――少なからず、人間の中にも次元漂流者と銘打たれる者はいるのである。
よもや自分がその当事者にはなるまいと思っていたリヒトだったが、そのような状況下におかれてしまっては仕様もない。
「それだけの魔力は無暗に使われると困るわけだ。だから漂流者は騎士団に所属してもらって、こっちの規則に従ってもらうことになってる」
「勿論、君は客人の立場だし、強制はできないんだけど――悪い話ではないと思うよ。護衛さえつければ城下にも自由に出してもらえるし」
騎士団に入らねば外出の自由もないということである。彼の答えは決まっていた。
「よろしくお願いします」
「よし、決まったな」
頭を下げた彼に満足げな笑みを向けて、オルフェインが豪快に自分の膝を叩く。
「一応、形式的な入団テストがあるんだが、まあ、武器の適性検査くらいに思ってくれ。日にちは追って連絡する」
「了解しました!」
「それじゃあ、オルダリエ。城下案内を頼んだぞ」
「仰せのままに」
一礼をした金の騎士が、晴れやかに声を上げた。
