時は文禄三年(1594年)播磨国明石にて一人の赤子が産声をあげた                                        その赤子の名は刀禰松(とねまつ)                                                        足利十三代将軍義輝公の元家臣であった伊丹正利を父にもち                                                                     母は綾江という武家の娘である                                                                                     ともすればエリートの血筋を持つ刀禰松であったが                                                 すでに父、正利は武家に仕えるのをやめており                                                  妻である綾江とともに町で手習い(塾の先生のようなもの)をして生計を立てていた