「うちのお父さん、中年太りなんだもん………。痩せれば、まあ、そこそこいいのに!」
「そうそう!ハルのお父さんみたいに、渋い親父を目指して欲しいわ………ほんと。」
「はははっ、私、ぽっちゃりでも全然いいと思うんだけどな。」
お互いの父親の話で盛り上がる2人をよそに、私は玄関の鍵を開けた。
ガチャン。
硬質な音を響かせて、開いていく古びた扉。
広がるのは、無音の空間。
誰もいない部屋だった。
当たり前だ。
今の時間、お父さんは仕事中なのだ。
お父さんが、ここにいるはずがないのだ。
目を閉じれば思い出すのは、あの頃の記憶。
山あいの町。
田舎に住んでいた頃の、懐かしくさえ感じる時間。
あの頃は、家に帰ればお母さんがいた。
それは、当たり前のことだった。
今はない出迎えてくれる人の声を、ふと思い出す。
口うるさい人だった。
子供を愛してくれない人だった。
それでも、家にはいて、出迎えてくれた。
(そっか………。)
夫婦だった両親は、既に離婚してしまっているのだ。
ここは、東京。
あの小さな田舎町じゃない。
私を愛してくれなかったあの人は、ここにはいないのだ。
私は捨てた。
母親も、母親とともに歩く未来も、自らの手で捨ててきたんだから。
ほんの一瞬だけ沈みかけた心をひた隠しにして、私は2人に向き直った。
「さあ、どうぞ。あんまり綺麗にしていないけど、上がって!」
ドアを開けて横に引けば、千夏ちゃんと千佳ちゃんが揃って玄関の中へと吸い込まれていく。
「お邪魔しまーす!」
今日は2人が、私の家まで遊びに来てくれたのだ。
大学の帰りに待ち合わせをして、途中で寄り道をして。
高校は同じ学校だったけれど、大学は3人とも別の学校を選んだ。
美大を選んだ私と、千夏ちゃんや千佳ちゃんが行きたいと望んだ大学が同じになることはなかった。
