side・ハル







強い風が、駅のホームを通り抜けていく。

冬という季節が残していった気配をほんのり孕んだ、そんな冷たい風が。


やがて、この風も暖かくなるのだろう。

遅い春の訪れとともに、この町にも柔らかな風が吹くのだろう。


もっとも、その頃には、私はこの町にはいないのだけれど。





足元に置いた、ボストンバッグ。

とりあえず、当面の生活で必要な着替えだけを詰め込んだだけの、大して大きくもない黒いバッグだ。


他の大きな荷物は、既に新しい住所に向けて送ってある。

忘れた物があれば、母親が送る手筈になっているし。


この町を出るには、これで十分なのだ。



「………。」


ホームに立って、空を見上げる。

昨日と同じ様に、よく晴れた空を。


青く澄んだ空。

私が、何度も絵に描いた空の色。


きっと、この空を見上げるのも、今日が最後だ。



生まれ育った町。

山あいにある、本当に小さな田舎。


冬は雪が降り、どこまでも真っ白な世界に変わる町。

短い春。

蒸し暑い夏。

駆け抜けていく秋。


この町には、四季がある。

見ていて飽きないほど、たくさんの色がある。



私、この町のこと、嫌いじゃなかった。

自分の生まれた町のこと、どうしても嫌いになれなかった。


閉鎖的で、顔見知りばかりの町だけど。

狭い世間の中で、暮らしている人ばかりの町だけど。



この町には、他の場所にはない良さがある。


溢れる自然。

厳しい環境で住む人の、たくましさ。


自然の中で生きる喜びは、他の場所ではなかなか味わえないものだから。



この町のことは嫌いではないけれど、私がこの町に戻ることはもう2度とないだろう。

つらい記憶ばかりが残る町に、私が自分から近付くことはないだろう。


それは、自分で決めたこと。

誰かに言われたことではなく、自分自身の意思で決めたことだから。