穏やかではない口調の俺に、矢田の笑顔が消える。
「あの子が、お前に何をしたの?」
「いや、別に………何も。」
「誰かの悪口ばっか聞いてんの、すっげー気分悪くなる。」
俺は、噂話が好きなタイプの人間じゃない。
陰で、好き勝手に言われて。
自分の知らないところで、言いたい放題に言われて。
そんなの、フェアじゃない。
公平じゃない。
俺がキレたことに驚いた矢田が、隣で何やら言い訳してる。
自分勝手な矢田の言い訳は、もう耳には入って来なかったけれど。
言い訳を続ける矢田を通り越して、天宮に視線を向ける。
転んでしまった天宮は、すぐには立ち上がらなかった。
膝を抱えて、痛そうにうずくまる。
泣いているのかまでは分からないけれど、必死に痛みを堪えていることは俺にも分かる。
そんな彼女を見ても、周りの人間は誰も助けようとはしていなかった。
どうして、助けてあげないの?
バカにされるからなのか。
矢田みたいに、天宮のことを笑う人間がいるからか。
唯一助けようとしたのは、50メートル走で笛を吹いていた先生だけだった。
助けようと先生が差し伸べた手を、天宮が遠慮がちに断っている。
俺はただ、そんな様子を遠くから見ていた。
結局、俺だって同じなんだ。
助けなかったんだ。
先生みたいに、天宮に手を差し伸べなかったんだから。
矢田みたいに悪く言わなくても、変わらない。
行動しなかったんだ。
俺だって、矢田と大して変わらない。
でも、この時はまだ言えたんだ。
悪く言う矢田の言葉に反論して、彼女を庇うことが出来ていた。
しかし、そう出来なくなる日が来ることを、この時の俺はまだ知らない。
紺野 有樹、12歳。
恋愛になんかまだ全然興味がなくて、友達と遊んでいる方が絶対的に楽しかった頃。
彼女に関する記憶が、俺の中で始まる。