さよならの魔法




私の中では昨日のことみたいに思えることも、過ぎた日の出来事でしかない。

他の人の中では、通り過ぎた過去なのだ。


ズキンと疼く胸を押さえ、先を歩くお父さんを見つめる。



先を歩くお父さんは、スーツ姿。

仕事の途中で抜け出してきたことがよく分かる、その背中。


お父さんが歩いていこうとしている方向にあるのは、生徒用の昇降口ではない。

その先には、職員用の玄関があったはず。


私は慌てて、お父さんを止めた。




「お父さん、そっちじゃないよ!」


生徒用の昇降口がある方向を指差して、そう教える。

出来るだけ、小さな声で。


小さな声で言ったのは、今が授業をしている時間帯だから。



そもそも、今が休み時間中なら、私はお父さんの車から降りたりしないだろう。

お父さんもまた、私を車から無理に降ろすこともないはずだ。


午前中の授業を行っている最中に、大きな声を出す。

それは、私にとっては危険なこと。



私がここにいることが、知られてしまう。

学校をずっと休んでいた私の存在が分かってしまう。


わざわざ、同じクラスの人間に見つかる様なことだけはしたくなかったのだ。


しかし、お父さんは、それでも歩くことを止めてくれない。



「いいんだよ、こっちで。ああ、懐かしいな………。」


いやいや、お父さん。

そんな呑気なことを言ってる場合じゃないんだってば。


焦る私とは対照的に、お父さんは私の制止を悠然と受け流している。



結局、お父さんは、そのまま職員用の玄関の中へと入っていってしまって。

遠慮することなく、用意されていたスリッパへと履き替える。


職員用の玄関には、1つの人影。

誰もいないと思っていた玄関には、既に誰かが私達を待ち受けていて。


お父さんはその人影に向かって、深くお辞儀をした。



「お待ちしてました、天宮さん。養護教諭の立花と申します。」


お父さんのお辞儀に応える様に、深く礼をする女性。