いつもと同じ朝が来ていつもと同じ朝食を食べる。トースト、生野菜、味噌汁、コーヒー。朝のニュースを聞きながら忙しく食べて忙しく出かける朝があったけれど、早期退職した今はもう忙しく過ぎていく朝を見守る側になった。娘が出かけて、息子が出かけていく。ジムに行く妻が忙しく家事を行い化粧前でカタカタと引き出しを開けたり締めたりしている音が聞こえ始めると、ゆっくりと腰を上げてテレビを消し、絵の具セットを取りに小さな書斎へ行き、晴れた日にはいつもそうするように、空気を入れ替えるために窓を開けた。

去年の父の日に貰った帽子をかぶり、外の様子を伺いながら上着を選ぶと、絵の具セットをぶら下げて階下へ降りていった。

「行ってくるよ」

玄関先で声を掛けると、化粧で忙しい妻がいつも同じ抑揚で「はーい、いってらっしゃーい。わたしもでかけるからー」と答えるのを聞くと玄関の扉を開けた。


一週間に一度カルチャースクールの絵画教室へ出かける。それ以外の日は晴れていれば絵の具セットを持って散歩に出かけ、描きたいと思えば描くし、特に描きたいものがなければぼんやりとそのまま帰って来る。偶に妻に電話して買物があるのか確認したり、母に電話をして様子を伺ったりする。散歩はいつも決まったルートを歩く訳ではなく、その日の気分で迷いながら歩いて迷いながら帰る。同じように過ぎていく毎日にもちょっとの変化は必要なのだ。

だけれどその日はいつもとは違った。出かける方向はもうすでに決まっていて、分かれ道に来ても彼は迷わずに道を選んで行った。足は、菩提寺の方向へ向かっていった。


彼岸桜の咲く枝が見え始めた。桜は亡くなった人を供養するために植えると聞いたことがある。川岸に多いのもその為なのだという。真実がどうなのか知らないけれどもお寺と桜というのはいかにも風情が良いものだと思う。桜が咲く時期も、葉桜の時期も、枯れ木のような時期も、お寺の参道に立つ姿は何百年間もの間当たり前にそこにあり続けた貫禄がある。

東屋に着いて絵の具セットを自分の横に置くとブルゾンのポケットから煙草を出して咥えた。ライターが見つからない。忘れてくる事はないから、どこかで落としたかもしれない。一度咥えた煙草をパッケージに戻してブルゾンのポケットに入れ、手を組んで膝の上にのせ体重を預けるとぼんやりと東屋の床を見つめた。少しの間そうやっていたけれど、春の風が少し強めに吹いたのを潮にして、彼は絵の具セットを開けた。簡易式のバケツに手水舎から水を拝借し、東屋のベンチの足元に置いた。黒い絵の具を薄墨のように薄めて、目を細めて本堂を見つめた。

いつもなら鉛筆で下書きをしてから描き始めるのだけれど、その日は何もかもがいつもと違った。早く描きたい、早く描き終えてすっきりしたい。描き終えたものをみたらきっとスッキリするはずなのだと思うのだった。

本堂を描き終え、渡り廊下の白木、寺務所から参道に向かう垣根の緑、ほんの少し視界に入る庫裏の壁を書き終えてしまうと、彼は一度筆を置いた。ここからが大事だと、本能的に思った。

ブルゾンのポケットに手を突っ込み、そうだった、と思い出すと少し舌打ちしたいような気持ちになって、もういい年をした自分がやる事ではないな、反省するけれど、絵を描いている時の自分は何故だか昔と少しも変わらないのだ。美大に行かないと決めた時に時が止まってしまったかのように。


「美大に行くと思った」
と彼女は言った。ブレザーの制服の衿にのった編み下げが、真新しい筆の毛のように艶やかに光っていた。進路を決めた日の帰り道だった。ほんのりと苦い初恋の思い出。絵を選ばなかった自分を男らしくないと蔑んでいるように聞こえて仕方がなかった。クラスの誰かに見つからないように帰る二人の帰り道が少しずつときめきを失いぎくしゃくした夕日の光の粒にかき消されていく初めの一歩。