「あー……その、な。永栄」
「……はい」
 小さな声。嫌でも過去の夏祭りを思い出して、今度は心の中で溜息をつく。

「どのみち、これで俺と永栄の今までの関係は、変わっちまう」
「……はい」
 顔を見なくなって分かる。今永栄は、必死で泣くのを堪えている。俺がめそめそ泣く奴が嫌いだと、知っているから。最後だと分かっているのに、そうやって俺を気遣うのだ、永栄は。

 ——今からでも、間に合うだろうか。却って、永栄を傷付けてしまわないだろうか。

 そんな不安に駆られながら、どう言えば伝わるものかと頭を掻きむしる。
「けどな……その、これから全く違う関係を作っていく、という選択肢も、あるんだが」
「……え?」
 永栄が僅かに顔を上げる。上目遣いに見上げてくる潤んだ目を直視出来ず、俺はそっぽを向いた。

「だからな、その……縁を切る、以外の選択肢を選ぶ、ってのも……ああもう」

 もう1度、頭を掻きむしる。断る言葉とか他人との距離を取る言葉とかならいくらでも出てくるってのに、どうしてこういう大事な時に限って、上手く言えないのだろうか。

「あの、先輩、無理しなくって良いですよ……? 部活で気まずくなるのが嫌なら、私、やめますから」
 ほら、永栄が誤解した。今まで何度、期待させ、諦めさせてきたのだろう。今更期待など持つまい、そんな感じが、微かに震える声に滲んでいる。
「いや、そうじゃなくて……くそっ」

 1度目を閉じて、深呼吸した。つまらないプライドに拘ってどうする。ここまで永栄に言わせておいて1人だけ逃げるのは、みっともないにも程がある。

 腹を決めて、永栄に向き直った。唇を引き結び俺を見上げる彼女に、ずばり言う。


「永栄、俺はお前が好きだ」


 永栄の目が、大きく開かれた。こぼれ落ちるんじゃないかと心配になる程見張られた目は、瞬きもせずに俺を凝視する。
「え? 小鳥遊、先輩? 今、何て……」
「……もう1回言わせる気か?」

 言いつつも、何度でも言う覚悟は決めていた。こうして俺の言葉を否定的に受け取るのは、俺の今までの態度のせいなのだから。

「俺は、永栄が好きだ。だから、その……今まで通りの関係、じゃなくて、その……付き合って、くれたら……って、おい!」

 けれど、やはり気恥ずかしくて、どもりつつ言葉を重ねていた途中で、相変わらず見開かれた永栄の目から、ぼたぼたと大粒の涙が溢れ落ちるのを見て、俺は慌てふためいた。
「泣くなよ! 何で泣くんだよもう!」
「先輩の、せい、ですぅ! な、んで、今、そんな、事、言うんですかぁ!」
 しゃくり上げながら言われて、うっと言葉に詰まる。それをつかれると非常に痛い。

「ええと、それは、その」
「本当に、もう、いいん、です! 同情、とか、そんなの、いらなくてっ」
「違う違う! そうじゃない!!」
 やっぱり誤解されたか。慌てて否定する。顔を覆う永栄の手をそっと取って、真っ直ぐ見つめた。

 ……ヤバい。意識してしまうと、この上目遣い、直視するのが辛い。妙に体温が上がっていくのを感じつつ、必死で言葉をひねり出す。

「同情とか、そんなんじゃねえって。俺がそういう事しねえのは、永栄も知ってるだろ? その、何で今更か、ってのはだな……」
 続く言葉につっかえる。けど、それを見た永栄がまた涙を零すから、手を伸ばしてそれを掬い取りつつ、格好悪いにも程があるそれを、暴露した。

「……俺が他の奴に見向きもしなかったのは、ずっと永栄が好きだったからで、けど、それは全く自覚してなくて……今日、ここで、やっと自覚したんだよ」
「え……」

 永栄がまじまじと見上げてくるが、もう限界だった。口元に手を当てて、顔を背ける。

「頼む……情けないのは分かってるから、もう1度言うのは勘弁してくれ……」
 それこそ情けない言葉を漏らす俺の顔は、多分真っ赤だ。心臓が煩くて、顔が熱い。永栄がそれを凝視しているから、ますます体温が上がって、おさめる事も出来ない。

「……小鳥遊先輩?」
「……何だよ」
 ややぶっきらぼうになってしまった俺の返答を聞き、永栄がひょいと俺の顔を覗く。

「暗くてよく見えないんですけど……先輩、もしかして照れてます?」
「もしかしてじゃねえよ! ここまで言わせといて何を聞く!?」
 自棄になって八つ当たると、永栄がクスクスと笑い出した。
「そこで笑うか!?」
「だ、だって先輩、何か可愛い……」
「知るかよ! あーもう、なんでこんな……!」

 意味もなく頭を掻きむしる俺を、永栄はクスクス笑いながら見つめていた。いたたまれない思いを堪えていると、永栄がふと笑うのを止めた。

「……小鳥遊先輩。私、告白も出来ないへタレですよ? 先輩の嫌いな、弱くて狡い女ですよ? 良いんですか、本当に?」
 その声は真剣だったから、俺も何とか自分を立て直して、真面目に頷く。

「良いんだよ。つーか、そういうのひっくるめて、俺は永栄が好きなんだ」
「今まで気付かなかったけど、ですか?」
「それは言うなよもう……」

 からかうような言葉に、また顔が赤くなるのを感じた。それを見てまたくすっと笑うと、永栄は背筋を伸ばす。

「へたれだけど、やっぱり、もう1回だけ、チャンスを下さい。……こうならないと言えないなんて、本当に良いのかなあ」
「良いってば。言えよ」

 本当は、ずっと言いたくて仕方なかったのだろう。それなのに諦めさせてしまったその言葉を、永栄はようやく口にする。


「小鳥遊先輩、好きです。私と、付き合って下さい」


 はっきりと口にされて、ようやく俺の気持ちも、すとんと落ち着いた。そうなってしまえば、何で気付かなかったのか分からないくらいで。自然と、言葉が口から出る。

「俺も、永栄が好きだ。付き合ってくれ」
「……はい!」

 曇りなんてどこにもない、眩しいくらいに輝く笑顔で、永栄は頷いた。俺も笑顔を返して、ここに来た時と同じく、けれど違う意味合いを持って、永栄の手を取った。