「どうして人を殺してはいけないのですか」

名も知らぬ少年の問いに、オキカは曖昧に微笑んでみせた。少年の真新しい靴は泥にまみれていた。純粋過ぎる透き通った眼が、濁った空気を挿んで此方を見つめる。

有り体に言って、オキカは孤独が苦にならない。独りで真面目に講義を受け、独りでさっさと食事をし、独りで早足に帰宅する。オキカにしてみれば、それらは実に気楽であり、ある種の幸福でさえあった。

「自分には殺したい相手がいないんだ。だから殺さないし、そういう感情自体が分からない」

嘘ではない。誰かを憎めるほど他人と係わって来なかった。引き替えに、愛し方を忘れた。

だがそもそも、愛さなければ憎めないのではないか。近頃オキカにはそう思えてならない。

「でも、だからこそ、憧れる」

少年はお伽噺の姫の如く、黙ってしまった。声を奪われた彼女は泡と消えたが、果たして彼は王子の胸を刺すだろうか。オキカは頭の隅でそんな事を考えつつ、幼き子を待った。

少年は口を僅かに開いて、丁寧に丁寧に、言葉を紡ごうとする。酸欠の金魚のようだ。しかし滑稽だとは思わなかった。

「それじゃああなたは、自分も殺しませんか。どうして」

「少なくも」

人魚姫が王子を怨んだならば。

「誰もそうならないようにと願うよ、自分以外はね」

この世はましになったろうか。それもまた、くだらない「例えば」なのだが。