遠い昔。

恵子が、歌を歌えなくなってた時期。

幼稚園で、いやなことがあったらしく、

帰ってきても、泣き止まない啓介。

理由を言わない。

激しく泣き止まない啓介に困り、

仕方なく、

昔、すぐに泣き止んだ方法を思い出した。

恵子は、歌った。

優しく。


啓介は、恵子にしがみつき、

「ママは…もう一人のママも歌うひとだったの?」

恵子は驚いた。

「啓介は、安藤啓介だけど…ママは、安藤じゃないから…」

啓介の涙を浮かべた瞳が、せつない。

「だから…ママが、別にいるって…どっかに…でも啓介のママは…ママだけだもん」

啓介を、ぎゅと恵子は抱きしめ、

「あたしは、啓介のママよ」

「ママは、ほかにいないよね」

恵子は首を横に振り、啓介の顔を見た。

「もう1人のママは、遠い国にいるわ」

「どうして、遠い国にいるの?」

「そうね。歌が上手だから、向こうにいったの」

「ママの方が、上手だよ。ママもいっちゃうの」

「いかないわ」

「ママの方が、絶対上手だもん!絶対!でも…いっちゃいやだよ。いやくなっちゃ、いやだよ」

また泣き出す啓介を、

恵子は抱き締めた。

「大丈夫。ずっと啓介のそばにいるからね」