日本から、

ヨーロッパに渡った和美は、

地道にライブ活動を始めた。

路上や公園。

ライブハウスで、無理やりの飛び込み。

天性の歌声は、話題を呼び…渡欧から一年で、

インディーズだがCDを出せた。

日本のレコードの力を使えば、すぐにだせたけど。

でも、そんなお膳立てはいらなかった。

その国の人が聴きたくて、聴いてくれるようになるまでは、アルバムをつくる気はなかった。

自分では、曲を書かなかったが、

フランスで有名な作家が、是非と…曲を提供してくれた。

それにより、インディーズながらも売上をあげ、

和美は一躍、時の人になる。

それは海を越え、

日本へ、

さらにアメリカへ。

2枚目のアルバムを録音中、

アメリカの有名なジャズレーベルから、

次は、うちからリリースしたいと、打診があった。

最初は、首を立てに振らなかった和美も、

最後は承諾した。

アルバムからの曲が、アメリカで上映する映画に、

大々的に、使われることが決定したからだ。

しかし、

輝かしい栄光ばかりが、続くはずがない。