ほぼ貸切状態の店に、

啓介のブロウが、響き渡る。


練習を終えた明日香は、カウンターに座り、

音に、身を任せていた。


「まだ帰らなくていいの?」

カウンター内で、ドリンクをつくりながら、

恵子はきいた。

「大丈夫です」

明日香は、微笑みながらも、

明日香の全神経は、啓介の音に、集中していた。


啓介の音は、聞き逃してはいけない。

明日香にとって、とても勉強になる…特別な音だった。

そして、啓介の音に、身を任せていると……心が安らいで、嫌なことを忘れられた。



恵子は…

そんな明日香の姿を、

かつて、健司を音を同じように聴いていた…

自分に重ねていた。

その目線が、

明日香の隣に置いてある楽器ケースを、とらえた。

恵子はフッと、自嘲気味に笑った。

あんなに大切なものを、

あなたは置いていた。

啓介のサックスが、すすり泣く。

恵子はステージを見、

微笑んだ。

あの子は、そんなことはしない。

できない…優しい子…。

だから、

少し、恵子には心配だった。

何かの拍子で……

壊れることはないだろうか。

力強い音こそ…本当は、繊細なのだ。

それだけが…

息子に対する不安だった。