【記憶 五】


静かな団地に、琴子の母の声が響き渡る。

「琴子、走らないのっ。一人で行かないで」

「もう、おうちだもーん!」

琴子の笑い声が更に近く響いて、
遼平は二階の階段の踊り場で、
柵の隙間から顔をのぞかせて下に呼び掛けた。

「琴子」

「りょうへいくんだーーっ」

驚いた琴子が、喜んで階段を駆けあがってくる。

姿が見えた途端、つまづいて転びそうになるのを、
遼平はとっさに駆け下りて手をつかんだ。

「あっぶねー」

「へへへ。転ばなかった」

安堵からつい、顔を見合わせて笑い合う。

その時、大きな物音がして遼平が顔を上げると、
琴子の母が呆然と立っていた。

足元に、重そうな買い物袋が落ちている。



「・・・遼平君・・・どうして、ここにいるの」


母の背後には、梶君が黙って立ち尽くしていた。


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バシャっという音で我に返り、
足元に目をやると、買ったばかりのココアで水溜りができていた。

重い溜息を吐いて、手から滑り落ちた紙コップを拾い上げる。
屈みこんだ途端、ガンガンと酷い頭痛がした。

寒さに耐えかねて温かい飲み物を買ったけれど、
この寒気は、風邪をひいたのかもしれない。

ベンチに座り込んで俯いたまま動けず、
頭痛が過ぎ去るのをじっと待つ。

その間に彼が通り過ぎてしまったら、と不安がよぎる。

遼平君を探すつもりで、
放課後から、大学の入り口が見える場所をうろうろしていた。