鏡に穴が開いてもおかしくないくらい、自分自身を睨みつけ、
じりじりと顔を寄せるその様子は真剣で笑えた。
「花嫁の前に自分とキスする気ですか、馬鹿兄貴」
「るせぇ、阿呆妹」
何度もネクタイを弄って、難しいしかめっ面をする。
神経質になっているのだろうか。
「どう決まってる?」
ネクタイ弄りは気が済んだのか、
上着を引っ張り、どこぞの俳優やらモデル気取ってクルリとターンする。
おどけて笑う兄に私はニヤリと笑う。
「馬子にも衣装、だっけ」
「んだと、アホイ」
「正直に言ったんだよ、バカユキ」
このやろう、と兄はわたしの首根っこを掴み、
頭に拳を当て、ぐりぐり押し付けた。
それは手の甲の骨が当たって痛いが、それはほんの少し。
いつもの兄妹のじゃれあいの光景。
いつだかテレビで見たライオンの子供の兄弟が甘噛みをし合う。
それと同じように無邪気そのものだった。
ライオンがうらやましい。
いつまでもサバンナで噛み合えばいいのだもの。
「おい、どうしたんだよ」
ふいに兄が拳を外して、驚きわたしの顔を覗き込んだ。
瞼の裏が痛い。鼻水が垂れてきそうだ。
「馬鹿な兄に一生付き合ってくれる稀有な女性がいた奇跡に、大喜びしているのよ」
涙はとめるべきだったけど、涙腺の電源が壊れたらしい。
ぽつぽつと、粒は頬を伝っていく。
「泣くなよ」
兄は慌てた様子でハンカチを探り、涙を掬っていく。
困り果てた様子が可笑しくて、わたしは心内少し笑う。
「なぁ、お前に泣かれるのが一番困るんだよ」
そしてそれがわたしにはやはり悲しい。
わたし程度に困らないで欲しい。
わたしなんかで狼狽えないでほしい。
「やめてよ、バカユキ」
優しく抱きしめないでほしい。
優しい声音で話しかけないでほしい。
お願いだから、私に優しくしないで。
「葵、あのな」
「私は地獄に行きたい」
こんなものは持つべきではなかった。
こんなものは捨てるべきだった。
こんなものに絡みとられる苦しみより、
きっと地獄の業火に焼かれたほうが楽なはずだ。
「じゃあ、俺も一緒に行くよ」
孝之の微笑みは、
いつも私を喜ばせ、そしてわたしを苦しめた。
「馬鹿ね、せっかくの奥さんを放るなんて」
「地獄なら葵と一緒にいるべきだ」
孝之は私を強く強く抱きしめてくれた。
痛いくらいに、骨がきしむかと思うほどに。
この痛みは身体だろうか、心だろうか。
この痛みを与えるのは、孝之の腕だろうか。孝之の心だろうか。
この痛みは何年も付き合ってきたが、未だに分からない。
けれど、この痛みに喜びを感じていた私は馬鹿だ。
こんな馬鹿たちの甘い時間を許してくれるような神様なんていない。
「もうお義父さんとママのところに行かないと」
「そうだな、オヤジとお義母さんのところに行くべきだな」
今度こそ、涙は止めた。
心の痛みは無視した。
身体のきしみは消した。
わたしたちは控室のドアノブに手を掛けた。
「走るなよ、転んだらお腹の赤ちゃんあぶねぇからな」
「そうだね」
「そうだ、優しい旦那さんを悲しませんな」
兄はわたしの頭を優しくなでた。
「じゃあ、後で」
私たちは兄と妹に戻った。
今度一緒になるときは、地獄でだ。
じりじりと顔を寄せるその様子は真剣で笑えた。
「花嫁の前に自分とキスする気ですか、馬鹿兄貴」
「るせぇ、阿呆妹」
何度もネクタイを弄って、難しいしかめっ面をする。
神経質になっているのだろうか。
「どう決まってる?」
ネクタイ弄りは気が済んだのか、
上着を引っ張り、どこぞの俳優やらモデル気取ってクルリとターンする。
おどけて笑う兄に私はニヤリと笑う。
「馬子にも衣装、だっけ」
「んだと、アホイ」
「正直に言ったんだよ、バカユキ」
このやろう、と兄はわたしの首根っこを掴み、
頭に拳を当て、ぐりぐり押し付けた。
それは手の甲の骨が当たって痛いが、それはほんの少し。
いつもの兄妹のじゃれあいの光景。
いつだかテレビで見たライオンの子供の兄弟が甘噛みをし合う。
それと同じように無邪気そのものだった。
ライオンがうらやましい。
いつまでもサバンナで噛み合えばいいのだもの。
「おい、どうしたんだよ」
ふいに兄が拳を外して、驚きわたしの顔を覗き込んだ。
瞼の裏が痛い。鼻水が垂れてきそうだ。
「馬鹿な兄に一生付き合ってくれる稀有な女性がいた奇跡に、大喜びしているのよ」
涙はとめるべきだったけど、涙腺の電源が壊れたらしい。
ぽつぽつと、粒は頬を伝っていく。
「泣くなよ」
兄は慌てた様子でハンカチを探り、涙を掬っていく。
困り果てた様子が可笑しくて、わたしは心内少し笑う。
「なぁ、お前に泣かれるのが一番困るんだよ」
そしてそれがわたしにはやはり悲しい。
わたし程度に困らないで欲しい。
わたしなんかで狼狽えないでほしい。
「やめてよ、バカユキ」
優しく抱きしめないでほしい。
優しい声音で話しかけないでほしい。
お願いだから、私に優しくしないで。
「葵、あのな」
「私は地獄に行きたい」
こんなものは持つべきではなかった。
こんなものは捨てるべきだった。
こんなものに絡みとられる苦しみより、
きっと地獄の業火に焼かれたほうが楽なはずだ。
「じゃあ、俺も一緒に行くよ」
孝之の微笑みは、
いつも私を喜ばせ、そしてわたしを苦しめた。
「馬鹿ね、せっかくの奥さんを放るなんて」
「地獄なら葵と一緒にいるべきだ」
孝之は私を強く強く抱きしめてくれた。
痛いくらいに、骨がきしむかと思うほどに。
この痛みは身体だろうか、心だろうか。
この痛みを与えるのは、孝之の腕だろうか。孝之の心だろうか。
この痛みは何年も付き合ってきたが、未だに分からない。
けれど、この痛みに喜びを感じていた私は馬鹿だ。
こんな馬鹿たちの甘い時間を許してくれるような神様なんていない。
「もうお義父さんとママのところに行かないと」
「そうだな、オヤジとお義母さんのところに行くべきだな」
今度こそ、涙は止めた。
心の痛みは無視した。
身体のきしみは消した。
わたしたちは控室のドアノブに手を掛けた。
「走るなよ、転んだらお腹の赤ちゃんあぶねぇからな」
「そうだね」
「そうだ、優しい旦那さんを悲しませんな」
兄はわたしの頭を優しくなでた。
「じゃあ、後で」
私たちは兄と妹に戻った。
今度一緒になるときは、地獄でだ。