「……」

恋愛経験少ない……いや、ほぼゼロに等しい私は、この難関を逃れる術なんて知らない。

「はい」

とりあえず、うつむいたまま自転車のハンドルを握る。

やっぱり、顔は見れない。

私は自転車に跨がると、今度こそ本当に脇目も振らずに逃げ出した。

だって、こういう時、どんな顔をしていたらいいのかわかんないんだもん。

オレンジ色の夕陽は私には眩しすぎるし、柔軟剤の香りは甘すぎる。

彼の優しさは逆に苦しすぎるし、その声は心を揺さぶりすぎる。

その恋バナは私には痛すぎるし、ナナさんに嫉妬した自分は醜くすぎる。

そんな私はどんな顔で長谷川大樹を見ればいいのかわかんない。

けど。

キィーッ。

100メートルくらい自転車を走らせてから、私は急ブレーキをかけた。

そして、方向転換すると、また今来た道を戻り始めた。

そして、長谷川大樹の前で自転車を止める。

「帰るんじゃなかったの?」

まだ立ち止まったままだったらしい彼が、不思議そうに私に尋ねた。

だって。

どんな顔していいかわかんないままだけど、もっと大事なことを思い出しちゃったんだもん。

私の変なプライドより、大事なこと。