あの頃のことが、黒く塗り潰されていく。

悲しくて、吐きそうで。



「好きでもない人と付き合って、美冬は満足なの?」

「うるさい!」


ばちん。

空(くう)を割くような乾いた音と共に、私の頬に衝撃が走った。


よろめいた。



「あんたにお説教なんてされたくないわよ!」


目を血走らせたまま、美冬はヒールのかかとを鳴らして去って行く。

私はしばらく茫然としたまま、そこから動けなかった。


愛憎という言葉の意味が、今初めてわかった気がする。



「って、晴香?」


顔を上げたら晃がいた。



「何か今、女の金切り声みたいなのが聞こえて、外に出てみたんだけど。晴香も聞かなかった?」

「え? あ、えっと……」

「この辺も最近は物騒になったもんなぁ。回覧板にも注意書きあったし。やっぱ変質者かなぁ?」


美冬だよ、とは、口が裂けても言えない。

私は曖昧にしか笑えなくて。


それより、晃があまりにも普通に話し掛けてきたから、どうしていいのかもわからなくて。



「ひ、久しぶりだね」

「は?」

「いや、話すの久しぶりすぎて、びっくりしちゃって」


晃は「あぁ」と、思い出したように言って、



「晴香があからさまに俺を避けてたからだろ」