…それか5年後。


已之吉は立派な青年になっていた。
年老いたトミは農業から手を引き、彼は茂七の家の完全な跡取りとなった。


毎年豊富に採れる野菜、米。


それらは収穫がすむと、町の八百屋、米屋などに卸し、そして稼いだ金で生活費に充てる。
そして一部の手持ちの分は冬越えに備えて蔵に保存する。


しかし、彼はそれらの一部をくすねて毎年のように収穫物の一部を籠に積んで、ある場所に届けようとしていた。



そう、おしんの家である。



だが、何故か彼女の家は発見できなかった。


一時期はかなりの山奥に入り込み探しに探し回った。


村の長老に聞いても、山に詳しい猟師達に聞いても已之吉達の住む村より奥は、山を越え麓に出るまで人は住んでいないと言っていた。

ならばおしんの家はどこにあるのか?



そこは彼女の家の他、
人家が何軒かあり、小さな集落と化していた。
集落を出ると山を登ることなく鞍部を歩き峠の頂部の切通しにある、道祖神の石仏の裏に出た。

…已之吉はそこでおしんと別れている。



つまりおしんの集落は峠を越えた山向こうではない事は確かな事実なのである。


そんな人が住み着いている集落をこの村では知らない者などいないはずなのだが…。




(もう一度、おしんさんと会いたい)



そんな思いを胸に秘めながら已之吉は諦めず彼女の家を探し続けた。




毎年のように…。



「お礼を渡す」それは、むしろ口実だったのかもしれない…。








そして、やはりその日もおしんの住む集落は見つけることはできず、既に陽も暮れようとしていた。




「今年もだめか…。まるで狐に騙されたみたいだ。」


已之吉はひとりごちた…。




あの時別れた峠を下る。






薄暗い山道を下っていくと、前から一人の女性が山道を登って来るのが見えた。




唐笠をかぶり、髪の長い白い着物を着た女性だった。



こんな時間におなご一人で危ないな…。

そう思いつつも二人の距離は縮まっていく。

唐笠を被っていたため顔はよく見えなかったが、やはりこんな時間に女一人で歩くのはおかしい…。
まさか、自殺する気か?
彼は心配になりすれ違いざま、女に声をかけた。


「…あの、どちらまでお行きなのですか?」


已之吉は声をかけた。



うす暗くて顔はよくは見えない。

女はぼそっと呟いた。



「…松郷です」


「ま、松郷ですか!?」



そこは峠を越えて麓に下りた隣村を越えた先、更に奥まった集落の名前だった。



「ちょっと…ここからかなり遠いじゃないですか。大の男が歩いても優に一時と半はかかりますよ。
あなた一人では危ないですよ。もう日が暮れますし。」



「大丈夫です」



「大丈夫じゃないでしょう。どちらかで泊まる充てなどあるのですか?」

「…………」


「とにかく、一緒に私の村まで戻りましょう。そこには宿屋もありますし…。」

「大丈夫ですから…。」
女は再び山道を歩き始めた。


「ちょっと、待ってくださいよ!」
已之吉は女の手を引いた。





女はニタリと笑ったように見えた。



…え?



已之吉は寒気を覚えた。




それは体温が感じられない寒気がするほど冷たい手だった。




「あたいがそんなに気になるのかい?ひっひっひ。」

女は先程までとは違う、しわがれた声をあげ、
「それ」は振り返った。





その時女の顔を見た…だが、その顔は…



…人間の顔ではなかった。




口は耳まで割け、牙が突き出し、目は金色にギラギラ輝いていた。

「久しぶりの若い男。久しぶりにいいブツに巡りあえたよ!本当.あんさんはうまそうだねぇ。ひっひっひ!」



大口を開け、ニタリと「それ」は笑った。



「う、うわーっ!」





手を振り払うと
已之吉は叫びをあげながら一目散に峠を下っていく。

「ひゃひゃひゃ!ひーやひゃひゃひゃひゃひゃ!お前は逃がさんぞ!喰わせ!喰わせろ!きゃきゃきゃきゃきゃ!」



それはとんでもないスピードで追いかけてきた。





ヤバイヤバイヤバイ!





お、追い付かれる!





ドシン!
山道より飛び出た一本の木の根が彼の足をもつれさせた。
籠に積んだ野菜が一斉に転げ落ちた。



「じゃあああーー!」
化け物は割けた真っ赤な口を広げ、雄叫びを上げながら、已之吉に飛びかかってきた。




く、喰われる!



南無三!







已之吉は目を閉じ覚悟を決めた。


獣のような叫びが耳をつんざいた…。

物凄い風が周囲を巻き込んだ。木が草がザワザワ音をたてる。


そして突如の静寂…


(な、なんだ…。)
已之吉は目を開けた。

「大丈夫ですか?」


………え?




そこには一人の女性が御札を前に突きだした格好で立っていた。

「封魔」と書かれた字が光っている…。
光が消えると札は自然に燃え、その女性が息を吹きかけると灰が宙に舞い、風になびかれ消えた。

目が合うと彼女はニッコリと微笑んだ。




……………


え?

おしんさん?

それは忘れもしない、山で遭難した時…、その時世話になったその女性だった。


「おしんさん!」


已之吉は声をあげた。




「危なかったですね。もう少しであなた、蛇骨婆に食べられるとこでした。」


汗だくになりながら彼女はつぶやいた。


「あ、あなたに会えるとは思わなかった。いや、ようやく会えた!ずっと、ずっとおしんさんを…私はあなたを探していたのですよ!」

「………………。」



おしんは返答をせずにゆらりと倒れ込んだ。


「え?おしんさん?しっかりしてください!おしんさん!」
顔を真っ赤にして彼女は倒れていた。
…物凄い熱だ。


已之吉は驚き彼女を担ぎ上げ、急いで自宅に運び込んだ。