…時はいやでも巡り続ける。

時間というものは決して巻き戻ることはない…。



それは昭和62年の初春の事…。



その時、ある「事件」がおこった。



岐阜県・関ヶ原町内を貫く、ある幹線国道で幼い子供が大型トラックにはねられた…。

子供は瀕死の重傷を負い、一目で助からないのがわかる状態だったという。



排気ガスで薄汚くなった茶色い雪の道路に、真っ赤な鮮赤の血があちこちに飛び散っていた…。


母親は子供を抱き、泣き叫び、助けを請う…。


どうにもできない現実に皆が顔を背けた。



その時であった。



白い着物を纏った少女がフワリと表れ、彼女が子供の体に触れると大きく開いていた傷口が消えた。



更に不思議な光をその子供にあて続ける…。


やがて子供が目を開いた。


周囲から歓声・拍手があがり、母親は号泣していた…。




そして、救急車が到着する頃、子供は会話できるまで回復、完治に近い状態だった。


それを最後まで見届けると、その少女は何も言わずにその場を静かに立ち去っていったという…。





東北・関東・北陸・東海…




このような不思議な「事件」は病院を始め、事故・火災現場など、ここ十年の間に各地で立て続けに発生しており、それは年を追うごとに徐々に西下していた。

年格好、服装が決定打となり日本ゆきんこ協会はこれを「雪女」の仕業と断定。


謎の少女の行方を追い出した。


他人の体力の回復・怪我の治療…。
陽光を照らし出す、雪女のその「チカラ」は必ずしも
陽の面ばかりではなかった。


それには恐ろしき陰の面も持ち合わせていた…。


人命を助けるその「チカラ」の乱用は、自身の体力・精神の消耗がかなり激しく、それが許容を超えると、突如のたうち苦しみ回り雪女としては死ぬ。

そしてその後、雪女の魂・亡骸は亡者の一種「餓鬼」と化す…。


餓えた自身の欲望のみで人を殺し人体を喰らい続ける。




…ある伝承ではそれはとても恐ろしい姿で、雪女としての面影は全くなく、正に「鬼」そのもの。


その鬼はある城下町を破壊しつくし、わずか数日で壊滅させたという…。



この為、この能力の使用は協会内規定で完全に禁止されていた。



そのような「事件」は岐阜県内だけでも、ここ一ヶ月の間に二十件近く起きており、雪女としての能力の限界を超える勢いだった。


やっと築き上げた妖魔と人間との友好関係。



その少女が姿を変えた時、それは脆くも一瞬にして崩れ落ちる危険性があった。


…協会はニュースにもなっているそれら事件の「主人公」を何としても探さなければならなかった。


警察機関・協会の必死の捜索の末、その少女は醒ヶ井町の山奥の廃寺で発見される。



子供を助けた少女、それはおきぬだった…。


再びおきぬが世に姿をあらわした瞬間だった。
協会はおきぬをなんとか説得、住所不定だった彼女は岐阜県に定住することになる…。
苗字がなかった為、彼女が住み着いたアパートの最寄り駅の名前をとり「美濃青柳(みのやなぎ)」の姓となった。


そしてその事は全国のニュースで流された。



それから…



岐阜支部宛てに各地から手紙が送られてきた。
おきぬによって助けられた様々な人たち…。
彼らの手紙には生きている事の大切さ…、そしておきぬに対する感謝の気持ち…。


それらが純粋に綴られていた…。







…それまで笑う事がほとんどなかったおきぬだったが、やがて少しずつ、笑顔が戻っていく。


…そしてある日。
赤ん坊を抱えた母親が
おきぬを訪ねてきた。