出張時の宿泊先である研修所から営業所まで、電車で約40分。

沿線は住宅開発が進みつつあるものの、のどかな風景が残っている。

郊外にある研修所の周辺は緑が多く、缶詰で研修を受けるには抜群の環境だが、出張先の宿としては寂しい場所にあった。

一番近いコンビニは駅前で、研修所からはバスで三つの停留所を過ごさなければならない。

いったん宿舎に帰ると、翌朝まで出かけるのが億劫になるような場所を、わざわざ選んで建てられたのかと思うほど辺鄙なところだった。


さいわい部屋は個室で、そこそこの広さがあり快適な空間だが保たれている。

研修で何度か来たことがあり、部屋はもっと狭かったと記憶していたのだが、今回は長期出張でもあり広い部屋を用意してくれたようだ。

食事のあとは自室にこもり仕事の続きをこなすことが多いが、たまには食堂で行われる ”会合” と称される宴会に誘われ顔を出したりもする。

それから寝るまでの時間のほとんどが電話にあてられ、毎日のように千晶の声を聞いてから眠りについた。

大杉を ”ちあき” と呼ぶようになって、まだまもない。

顔を合わせていたら 「あのさ」 とか 「えっと」 とか、名前を呼ばずに過ごせるだろうが、電話では呼びかけるしかない。

照れくさかったのはほんの一日のこと、呼び慣れると親密さが増したような気がしてきた。


毎日毎日、よくも話すことがあるものだと思えるほど僕たちは話をした。

短いときで30分、長い日は二時間近く携帯を握っている。

通話無料サービスなんてない頃だったら、ひと月の電話代がとんでもない額になっていたかもしれない。

どれだけ話しても追加料金などはなく、それまで電話の習慣がなかった僕は、どれほどこのサービスに感謝したことか。

千晶のお父さんはあれから落ち着きを見せ、治療にも前向きになっているらしい。

先輩のおかげなんですよと、嬉しそうに報告があった。



『先輩が ”千晶さんとお付き合いしています” と言ってくれたのが嬉しかったみたいで……
しっかりした挨拶ができる男性なら心配ないって、お父さん気に入ったみたいだと義母から聞いて』


『あはは……またお父さんに気に入られたのか』


『また?』


『あっ、いや、なんでもない。それで手術は?』



手術はもう少し体力が回復してからと決まり、お父さんも元気になるんだと意欲的に治療に取り組み、これも先輩のおかげですと言われ、こそばゆい思いがした。

それにしても、僕は年配の男性に気に入られるようだ。

深雪さんのお父さんに気に入られてしまったのは誤算だったが、千晶のお父さんに挨拶ができたのは、結果的に良かった。


このまま千晶と付き合いっていくためには、深雪さんとの話はどうあっても断っておかなければならない。

おばさんは僕の意向を伝えてくれると約束してくれたものの、これまでのこともあり一抹の不安がある。

けれど、お願いしますと頼んだ以上、こちらから ”断ってくれましたか” と、おばさんに念を押すわけにもいかず、
近況報告をかね、それとなくお袋に聞いてみた。

深雪さんのお母さんから ”お話はわかりました。娘が大変お世話になりました” と小林のおばさんへ丁寧な返事があったそうよ、ということだった。

千晶にもお袋の話を伝えると、『私もユキちゃんから聞きました。叔父さんがとても残念がっていたそうです』 と電話の向こうで笑っていたが、だけどユキちゃんに先輩とのこと言えなくて……と続いた。



『僕の出張が終わったら 深雪さんに僕らのことを話そう』

『そうですね 私も黙っているのは……』



仲のいい従姉妹に隠し事をしているのは辛いのだろう、複雑な思いのまじった声だった。

千晶と深雪さんのためにも、僕たちのことをわかってもらうためにも、深雪さんには話しておきべきだと思った。


そうか、おばさん、ちゃんと伝えてくれたんだ。 

はぁ、やっと決着がついたか……

僕にもようやく、以前のような平穏な日々が訪れた。