そこには伊集院さんの姿。
そして伊集院さんに会いに来たらしい来客。
『咲夜【しょうや】、次は2週間後。
オクターブ奏法の練習は、
もう少し労わりながら行うんだよ。
湿布薬と内服薬は処方しておくから』
伊集院さんは、そう言って来客を送り出した。
すれ違う瞬間、俺は会釈する。
見慣れない白衣姿の伊集院さん。
「雪貴、君も少しおいで」
そう言って奥の部屋に連れていかれる。
伊集院さんが向き合うのは、
腱鞘炎に痛む俺の手。
一通りの検査。
「指示通りに課題曲してたみたいだね。
少し腱鞘炎は回復してるかな?
さっきの彼、彼もまた将来有望なピアニストだよ。
オクターブ奏法で、
君と同じように腱鞘炎になった。
彼はオクターブ奏法の練習は
コンクールの関係でやめられないからね、
麻酔剤と抗炎症剤の混合液を患部に注射しに、
訪ねてくるんだよ」
そう言いながら、
俺の指先に薬を塗り込んでいく伊集院さん。
「雪貴の場合は、この場所の炎症が特に酷い」
そう言って、
親指と人差し指の付け根部分を示す。
「確かに練習中、痛かったです。
でも痛みは我慢すればいいかなって、
それよりも俺には遅れを取り戻す必要があったから」
「皆、そういう風に焦って
自分の手を労わることを忘れるんだね。
手も大切な演奏の一部。
楽器と君自身を繋ぐ、架け橋だからね。
架け橋が不安定だと、演奏に支障をきたすよ」
そう言うと伊集院さんは
今、俺に必要らしい治療を終えたらしく、
医療道具を片づけ始めた。