しかし、あまりスピードが出ないまま下り坂へと入ったことに、水無月さんは少々ご不満らしく。
「あー!小野くんブレーキかけた!私の楽しみがー!」
「何言ってんすか下り坂ですよ⁉︎2人乗りですよ⁉︎アホですか⁉︎」
「アホじゃないもん!下り坂をビューンって下りるのが楽しみだっただけだもん!アトラクションみたいで!」
「運転してる俺の身にもなってくださいね⁉︎」
後ろでブーイングの嵐を巻き起こす水無月さん。
言っておきますけどね、水無月さん。
これくらいの緩やかな下り坂なんて、1人だったらそのまま下ってましたから。
アナタが居たからブレーキかけたんですからね。わかってくださいね。
……なんて言っても、わかんないんだろうなあ。この人は。
「……あ、ねぇねぇ、小野くん」
ひとしきり騒いだあと、ふと、水無月さんが俺の顔を後ろから覗き込んできて、言う。
「こんな感じの歌、あったよね!」
「歌?」
「下り坂をね、こんな風に、ゆっくり下っていく歌!」
「あー、ありますね、あの、」
「みかんだっけ?」
「柑橘系ってとこしか合ってないですね」
「あれ〜?そうだったっけー…」
しばらく考えたあと、「まあいっか!」と、水無月さんはいつものいい加減っぷりを発揮した。
そういえば、なんだか水無月さんと居ると、自分には絶対ありえないだろうと思っていたことも、ありえてしまうような気がする。
あの歌の歌詞も、自分には到底ありえない空想の世界だと、思っていたのに。
昼下がりの、青い青い空の下。
後ろから聞こえる、とんちんかんな鼻歌を聞きながら。
俺はブレーキに手をかけたまま、慎重に慎重に、海沿いの長い下り坂を、下っていった。