「じゃあ、俺たちもなんか飲み物買ってくるわ。ハギもなんか飲むか?」
 恵太が少し先に行ったところにある自動販売機を指差す。
「いや、俺はいい」
 重信が首を横に振ると、美雪と恵太は仲良く手を繋いで行ってしまった。

(そういえば……。恵太と美雪ちゃんのああいう姿見ても、もう何とも思わなくなっとな……)
 二人の仲むつまじい姿を見送りながら、重信はふとそんなことを思った。
と、そんな重信のすぐ脇から、突如低い声が響いた。
「おい」

 そうだ。すっかり忘れかけていたが、ここには、まだ黒ヘルメットの男の存在があったのだ。
 妙にドキドキしながら、重信はゆっくりと男に視線をやった。なんとなく、柔らかい雰囲気とは思えなかったからだ。
 男は身長は百七十センチと少し位しかないが、細身でありながらも金の二本ラインの入ったウェアーの上からでもはっきりとしなやかな筋肉がついていることが伺える。少し長めでパーマがかった黒髪を、後ろで小さく結び、顎の辺りに生やされたうっすらとした洒落た髭。強面ではあるが、なかなかのイケメンだ。
「お前、最近うちの妹に絡んでんだろ? 一体どういうつもりだ?」
 永遠子顔負けの物凄い威圧感と形相に、重信は思わず一歩後ずさる。

(い、妹……?!)

 全く状況が掴めず、重信がきょとんとした目で黒ヘルメットの男の顔を見下ろしている間に、男はまた一歩重信に詰め寄り、今度は自分よりもはるかに図体のでかい百八十五センチもある重信の胸倉をぐいと掴み上げてしまった。
「からかってんなら、大概にしとけよ? もし妹傷つけてみろ、ただじゃ済まさねぇからな」
 そう言って、黒ヘルメットの男は、射抜くような猛獣さながらの眼で重信を睨んだ。
 重信の背に、つうと嫌の汗が流れ落ちた。手の平なんて、やけに湿っている。
 男は、パッと重信の胸倉から手を放すと、何ごともなかったかのようにクルリと身体を翻し、その場から立ち去ってゆく。
 その場に一人取り残された重信は、いまだ掴まれた形のまま皺になっている服の胸の辺りを呆けたまま見下ろした。
(な……、今、一体何が起こった……?)
 あまりに突然で、一瞬のことだった為に、全然よく分からなかったが、それと同時に、あの黒ヘルメットの男の鋭い眼を思い出すと、思わず身震いしそうになる。そう、さっきの重信の様子を何かに例えるなら、まさに蛇に睨まれたカエル状態だ。
(っつうか、妹って……? その前にあの人は一体誰の兄貴だ? 美雪ちゃん? 永遠子ちゃん? まさかな……)

 そんなことを懸命に考えているところに、スポーツドリンクのペットボトル片手に、アオイが機嫌良く戻ってくる。そのすぐ隣には、永遠子の姿も。
「ハギ、わりぃわりぃ!って、あれっ。兄ちゃんは?」
 きょときょとと、周囲を見回すアオイに、
「兄ちゃん?」
と、重信が思わず訊ね返す。
「ああ、そっか。そういやハギ達には紹介してなかったよな! さっきここに黒ヘルメットの人いただろ? あれ、俺の兄ちゃん」
 それを聞いた途端、重信はピキリと氷のように固まってしまった。そこへ、タイミングがいいのか悪いのか、美雪と恵太が戻ってきる。
「えっ! さっきのイケメンがアオイの兄貴!?」
 恵太が驚きの声を挙げる。
「あの人すごい選手だねって恵ちゃんとさっき話してたんだよ。アオイちゃんのお兄さんだったんだー!」
 買ってきたソーダをアオイに手渡しながら、美雪が言った。
「さっき、隣のセクションでお兄さんの競技見たんだけど、ホント凄かったー。鳥肌立ったもん」
 余程感動したのか、美雪はうっとりした目でそう付け足す。
 重信は、信じられない思いで、アオイ達の話のやり取りを黙って聞いている。
「うちの兄ちゃん、一応うちのクラブチームの部長なんだ。そりゃオレなんかと比べもんになんねぇ位すげぇよ」
 アオイが肩を竦めた。
「そんな事無いよ。アオイの技術も凄いんだから!」
 永遠子が慌てたように懸命に訴える。
「いや、事実兄ちゃんのがオレより経験年数も長いし、技術的にも上なんよ。オレの目標は常に兄ちゃんだから」
 兄の技術に劣っていることを、悲観した様子は一切なく、寧ろ嬉しそうに話すアオイを、重信はじっと目を細めて見つめた。この小柄な少年が、身長百八十五もある自分より、遙か先を進む大きな存在に見えたのだ。

(アオイは、でかい……)

 ただ、重信はそう思った。