競技を終えたアオイが、黒ヘルメットの男に小突かれながら、自転車を壁に立てかけている。その様子を、重信は悶々とした気持ちで見つめていた。

「アオイー!」
 永遠子が大声で名を呼びながらアオイに手を振ると、アオイの方もそれに気がつき、右手を挙げて合図する。すると、にわかに黒ヘルメットの男もチラリととこちらに視線をやった気がした。
「おーっ、見たか、アオイ様の必殺大ジャンプ!」
 アオイが満面の笑みを浮かべ、こちらの応援席の方に駆け寄って来る。
「すっごく格好良かったよー! 永遠子、アオイのこと惚れ直しちゃった!」
 永遠子がアオイの腕に自らの腕を絡みつけながら、そんなあからさまなことを口にする。
 が、言われたアオイ本人は、あまり気にした様子でもなく、すらりと受け流している。
「うんうん、アオイちゃんめっちゃ格好良かった!」
「だよな、だよな! 俺も本気でびっくりしちゃったよ」
 なんて、美雪と恵太は興奮気味に頷き合っている。
 一方、重信は何気ない永遠子の”惚れ直した”発言にやたらドキドキしているのだった。
(ほ、惚れ直した……?? つまり、永遠子ちゃんはアオイに猛アタックかけてるってことだよな……?)
 重信が一人でぐるぐると考えて込んでいると、
「おい、ハギの感想は?」
 競技を終えて戻ってきたアオイに、未だ何も声を掛けていない重信に対して、不満あり気な顔をして、アオイが重信を見上げてきた。きっと、友だちとして来て欲しかった重信には、何らかの反応を示して欲しかったのだろう。
「あー、えっと」
 けれどこの通り、重信はかなりの口下手な上、表現下手。表情の変化も微弱な為、顔から気持ちを読みとるのも至難の業である。
「お疲れさん。アオイは、空飛べたんだな」
 実際口から出てきた言葉は、こんな訳のわからないものだけ。本当は、こんなことを言いたかった訳ではなく、言葉にしきれない感動を、思いきりアオイに伝えたかったのに。
「はあ?」
 あまりに真面目な顔をしてそんなことを言うもんだから、アオイは呆れたような声を出した。
「んだよ、意味わかんね。もっと何かあんだろ? アオイ、感動したぜ! みたいによー。ったく」
 ヘルメットを外しながら、アオイは肩を竦める。

「じゃなくて。最後のジャンプ…、アオイが鳥になったみたいだった」
 なんとかアオイに今の自分の感動を伝えようと、必死に考えた重信が最後に付け足した言葉が、これだった。
 が、それを耳にした途端、一気にアオイの顔がぼっと赤くなった。
「ハギ、てめぇ。不意打ちでそんなハズいこと言ってんじゃねえぞ。こら」
 すぐ隣で、美雪と恵太が互いに顔を見合わせ、意味深な笑みを浮かべている。一方で永遠子が物凄い目つきで重信を睨んでいた。更に言えば、黒ヘルメットの男もなぜか品定めでもするかのように、重信を見つめているのだった……。

「あー、喉渇いた! ちょっち水分摂ってくるわ」
 そんなことに気づいていないアオイは、小走りで出さっさとどこかへ駆けて行ってしまった。
あっ、アオイ待ってよ!」
 すかさずその後を追いかけていく永遠子。
 やっと永遠子が傍から離れていってくれたことで、やっと一息ついた重信は、彼女の後ろ姿を見つめながら、ほんの少し状況を飲み込みつつあった。
 どうやら、永遠子とアオイの気持ちの面では大きなすれ違いがあることに気がついたのだ。
(永遠子ちゃんはアオイが好きだけど、アオイは永遠子ちゃんを友だちとしか見てないって訳か)
 そう考えると、永遠子が重信に対して対抗意識を燃やしていることも理解できる。
 どちらにしろ、アオイは相当鈍感な種類の人間らしい。あれだけあからさまな永遠子のアプローチにも、全く気付いていないと見える。
 そんなこんなで、重信はちょっとほっとしつつも、決して安心はできそうになかった。何より、永遠子はアオイに対して本気のようだし、その永遠子に重信が”ゲイ”だということが知られてしまったとなれば、重信にとってかなり分が悪い。