今はアオイの応援に集中すべきだと思い直し、重信は先程までの永遠子とのやり取りを頭から吹っ切ろうと、大きく首を左右に振った。
(アオイの応援に集中しろ!)
 自分自身を牽制するかのように、重信はアオイの競技に全神経を集中させた。


 その間にも、アオイは次々とセクションを制限時間内にクリアしていき、高い得点を維持し続けていた。
 が、それでもやはり集中しきれない重信は、アオイの勇士を目に焼き付けようと必死になるが、永遠子の言葉が耳から離れずなかなかうまくいかない。
「ああっ、くそ」
 思わず声に出してしまった為に、恵太がびっくりした顔で重信を振り返った。
「な、なんだよ、ハギ? 急にどうした?」
(や、やば……)
 はっとして慌てて口を噤むと、重信はなんとかその場を誤魔化そうとわざとらしい咳払いをした。
「いや、別に」
 首を傾げている恵太。その隣で美雪は懸命にアオイの応援に精を出している。と、その時、他の観客や応援席の辺りからどよめきが巻き起こった。
 別セクションで競技中の選手が、物凄いテクニックを披露したらしい。アオイのセクションのもうワンランク上のセクションのようだ。
「すごいね、あの人」
 美雪が惚けたようにそちらを指差している。
 選手のは真っ黒なヘルメットに金色の二本のラインが入っただけのシンプルなウェアーを着用していた。
 彼ほ、石を積み上げて作られた人工的なデコボコ道を、前輪と後輪を巧みに交互に扱い、物凄い速さで駆け下りている。一瞬で足場を判断し、優れたバランス感覚とトライアル技術を駆使して、まさに神業とでも言える走りを見せていた。坂の上から下までを駆け下りる時間は、おおよそにして五秒前後。
 重信もそのトライアル技術はしっかりと目にしていたものの、彼の頭の半分ほ、未だ先程の永遠子とのやり取りを引きずっていて、残念なことに他の観客達よりは随分感動は少なかった。

「あの人、凄いな。無失点らしいぞ」
 恵太が感心を込めてそう呟いた。
「世の中には凄い人もいるもんだね」
 美雪も恵太に負けじと相槌をうっている。けれど、
「ちょっと、あなた達静かにして! アオイももうすぐゴールなんだから!」
と、強く永遠子に制され、二人は申し訳なさそうにしゅんと口を噤んだ。

 アオイはいよいよ最後のコースに差し掛かっていた。アオイの方も、失点は少なく、そして、このままいけばかなりの高得点が期待できそうだ。
 しかし、どうもこの最後の最後にきて、登りに少々手こずってしまったせいもあって下りに入った時点で、すでに残り七秒を切ってしまっていた。
「七秒……。ちょっと厳しいんじゃ……」
 恵太が心配そうに腕時計を見下ろしている。
(アオイ……!!)
 重信は、やっと現実に引き戻され、危機に追い込まれているアオイの姿をじっと見つめた。

「アオイなら大丈夫」
 永遠子が瞬き一つせず、アオイを一点に見つめている。

 残り四秒、三秒、二秒……。
(もう間に合わないか!?)

 まだ坂を下りきるには二メートル程あり、誰の目にも間に合わないかのように見えたその時。
 突如、アオイの自転車が宙を舞った。一瞬、羽でも生えたかのように重信の目には映る。
 残り一秒と同時、アオイの自転車が砂埃を上げてズザザーっとゴールに横滑りしながら飛び込んでいた。
「間に合った!!!」
 恵太も美雪も叫び出していた。

(あ、あいつ、めちゃくちゃ格好良すぎだろ……!)

 重信は、小刻みに震える手をこっそり後ろへ隠し、深く息を吸い込む。今、改めてアオイの凄さを知ったというところか。
 ところが、感激に浸っている場合ではなかったことにすぐさま気付かされる。ゴールで横滑りして倒れた自転車とアオイをすかさず助け起こす人物がそこに現れたのだ。
(なっ?!)
 その人物とは、まさしく先程見た黒いヘルメットと金色の二本ラインの入ったウェアーの男だった。
 親しげな様子で、男はアオイの腕を引き上げ助け起こした後、アオイ頭にポンと手をのせている。
(だ、誰だ、あの男は?!)