とうとう待ちに待ったこの日がやってきた。アオイのバイクトライアルの予選大会の日である。
 会場は、ミズキスポーツの敷地内に設置されており、今回は関東代表8名の選出とのこと。日本ではまだそれ程有名な競技ではないとは言え、関東周辺の他府県からも多くの選手が訪れていた。

「アーオイー、頑張ってね!」
 すぐ目の前で、永遠子がアオイにヘルメットをかぶせながら高い声を出す。今日は朝からずっとこの調子だ。重信がもっとも見たくなかったこの光景。
(そうか……。なんとなく分かってきたぞ。この子、わざとだな)
 アオイと永遠子がただの友だちだと分かってからというもの、重信は客観的に永遠子のとる行動を見ることができるようになってきていた。
「メットくらい自分でかぶらせろ」
と、アオイの方は迷惑そうに永遠子の手を振りほどくように避け、顎の下のベルトに手をやっている。
 そして、そんなアオイのつれない態度に、永遠子は少しむっとしてアオイを見つめていた。
(アオイはなんとも思ってないみたいだけど、この子、アオイが好きなんだな)
 永遠子の様子を観察しながら、重信はふとそう確信した。と、自分が重信にじっと観察されていることに気付いた永遠子は、切れ長の目をすっと重信の方に向けた後、ツンとそっぽを向いてしまった。
(怖いな、女子って……)
 女の勘の良さに身震いすると、重信はチラリと恵太と美雪に目をやった。どういう訳か、恵太と美雪には、大和撫子よろしく、永遠子は愛想よく微笑み、他愛のない話にまで付き合っているではないか。
(なんか俺に対してだけ態度冷たくないか……? ひょっとして俺のアオイに対するきもちに気付いてるとか?)
 ギクリとする気持ちを抱えながら、深刻な顔をして考え込んでいる重信に、
「んでお前は、何か美味いもん持って来てくれたんだろな?」
と、アオイが声をかけた。いつの間にか、じいっと重信の顔を見上げている。
 そんな小犬みたいな姿に思わずキュンとして重信は、たまらず一歩後ろずさった。重信は、どうにもこのアオイの無意識のうちの上目づかいに弱い。本人は、そんなつもりはことさら無いのだが、なんせこの身長差。どうしたって、重信を見るときは上目づかいになってしまうのは仕方がない。
「あむ」
 動揺を悟られないようにと、重信はアオイの口に肉まんを突っ込む。来る途中に駅で買った具だくさん肉まんだ。因みに、この他にも餡まんとチョコまんとカレーまんも購入済みである。
「おっ、うめー!」
 むしゃむしゃと肉まんを頬張るアオイに永遠子が水を差す。
「もう! アオイの出番もうすぐでしょ? 肉まんなんて後にしなよ。普通緊張とかして食べらんないもんでしょ?」
 当のアオイは、まるで緊張の欠片も感じさせることなく、ペロリと肉まんを平らげてしまった。
「このアオイ様が、なんで予選ごときで緊張しなきゃなんねぇんだよ。これが本戦なら、ちっとはオレも緊張するかもしんねぇけどよ」
 そう言ったアオイに、重信は内心驚いていた。小さいくせに器がでかいとは思っていたが、これは相当の物である。
(俺なんかよりよっぽど度胸座ってやがる……)
 前の選手の競技を見つつ、緊張よりも寧ろウキウキした表情を浮かべるアオイの様子に、永遠子が時折心配そうに溜め息をつくのが見える。と、同時に、明らかに重信に対して敵意の籠もった視線を向けてくるのはおそらくは気のせいではないだろう。その原因は、さっきの肉まんに間違いない。

「じゃ、そろそろオレもあっちで準備してくるわ。ま、見てろよ。今日はオレの必殺技を披露すっから」
 ちゃっ! と、冗談を込めて敬礼すると、アオイは軽い足取りで行ってしまった。
「頑張ってね、アオイ!」
 永遠子が心配そうに声援を送る。
「皆で応援してるね、アオイちゃん」
「頑張れよー」
 美雪と恵太もニコニコと微笑みながらアオイに手を振る。そして、口下手な重信は、黙ったままアオイに向けて静かに右手を挙げて合図を送った。